深夜番組で知った人

つぶやき

 西部邁さんという人が少し気になった。
 西部さんのことをよく知っているという訳ではない。全学連の闘士、東大教授、評論家、経済学者として多彩な人であったらしいが、西部さんの本を読んだこともなく、もちろん講演会などにも行ったことはない。2018年に多摩川で入水自裁をした

 西部邁さんのことが気になったのは病気がきっかけである。西部さんと私は2つ同じ病気を持っていた。1つは喉頭癌、2つは頚椎症性脊髄症。

 喉頭癌は亡くなる5年ほど前に発症している。73歳くらいのときになる。発症後の治療等に関する記事は見当たらなかった。

 頚椎症性脊髄症は長い間の持病として西部さんを苦しめたらしい。
 この病気はそんなにポピュラーなものではないだろうと思っていたら、私の知り合いにも何人もいて、芸能人などでは演歌の大御所とか、かつてのアイドル歌手、またある政党の委員長などずいぶん多い。
 手術をして劇的に治る人もいればそのままという人も多い。

 神経に関する病気であるから発症部分のわずかな違いも大きな症状の違いとして現れることになる。
 私も昨年5月に手術をしたが、好きな楽器も弾けない状態が続いている。
 西部邁さんの頚椎症性脊髄症はかなり重症だったらしい。指の先まで痛みがあったようで晩年はほとんど物が持てない状態だったようだ。

 西部さんが多摩川で自裁したことに関し、2人の友人が自殺幇助罪で罪を問われた。
 当時西部さんは大分体が弱っていたらしく、自分で歩いて自裁現場まで行くこととか、パソコンを打って遺書を書くことなどは出来なかったらしい。
 それに気づいた警察が、西部さんの友人の中から2人を協力者として探し出し逮捕した。

 2人とも西部さんの自殺に関与したことを認める。
 しかし西部さんの意志に共感しての協力であるから見苦しいことをするような人達ではない。高い見識を持ってあえて犯罪となる行為をした。

 ただそのうち一人は法廷で自殺幇助を認めたが、もう一人の人は認めなかった。
 西部さんは自分の意志で自裁したのであり、犯罪としての幇助はあり得ない、という主張だったらしい。
 幇助という概念の問題だが、私は後者の人の考えに共感した。そう主張してこそ西部さんの意志に合うものであろう。
 しかし2人とも執行猶予付きの有罪判決を受けている。法律はこの人たちを裁くことができるほどの思想を持っているものではない。

 どのような死生観を持っていた人なのか知らないが、50代の半ばには自殺を周囲の人にもらしている、ということである。
 私と共通の病気から関心を持ったが、西部邁という人の自殺が気になる。

 冒頭に入水自裁と書いたが、西部さんと若い頃から親交があったという保阪正康さんの西部さんに関する著作に自裁という言葉が使われていた。
 西部さん自身が求めた言葉なのかと推察し自裁という言葉を使った。

 自らの死にはいろいろな言葉がある。自殺、自死、自害、自裁、自決。まだいくつもある。自裁=自らを裁くということになる。西部さんは何を裁いたのであろうか。

 前述したとおり西部邁さんに関する詳しい知識は持っていない。わずかにあるのは、テレビの討論番組や、たまに出演されたテレビの報道番組での発言を通じてである。
 この討論番組を最後まで見た事はない。司会の田原総一朗という人が嫌いだからである。
 私は西部さんをこの番組で1度か2度くらいしか見ていない。
 話を聞いても正直良く分からなかった。革新かと思っていたら保守の論客と言われた人だったらしい。
 悪い人相の人ではなかった。なにか物事を良く分かっていて、それでいてみんなに話を合わせるような顔つきをしている人のような印象を受けた。

 安倍元総理に対してこんな評をしている。(ウィキペディアによる)
 「陋習(ろうしゅう。悪い習わし)とそうでないものを峻別しながら伝統を守るのが保守。故に保守ではない」
 「戦後の日本人の愚かさ加減がにじみ出ていると言える」

 また小沢一郎氏に対しては次のように評している。
 「小沢一郎は背広を着たゴロツキである。ポピュリストである」
 すべて見通している。大した人だったんだなあと思う。

 西部さんは自裁する4年前に奥さんをがんで亡くしている。このときのことを保阪正康さんは本に書かれている。
 保阪さんは中学時代から西部さんと親交があったらしく、亡くなるときまで家族ぐるみの付き合いであったそうだ。
 西部さんの奥さんががんで亡くなった時、保阪さんの奥さんは、「Nさんは奥様がいなければ生きていけないと思う」と保阪さんに語ったと言う。
 Nさんとは言うまでもなく西部さんのことである。

 「女にとって連れ合いの死は世界の一部分の消滅だが、男にとっては世界そのものの消失となる」。
 保阪さんはこのように書いているが、男は誰しもそうである。

 なにか偉そうなことも言わず、偉そうなことをやったという形跡もなく、いろいろ生きて来て、自分の考えを持って、人に押し付けるでもなく、妻を愛し、そして自裁していった。こういう人を何というのだろう。(了)

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