「私鉄沿線」は男が女を待つ歌であり、「池上線」は女が男を待つ歌である。
いずれも相手を待つ歌であるが、「私鉄沿線」は女に逃げられた男の未練がましさが、「池上線」は男の身勝手な別れによる女性の悲しさが描かれている。
作詞は両方とも男性であるが、「池上線」は実体験に基づいていると言われている。
「私鉄沿線」は以前このブログで触れたが、女性から別れた理由が歌詞からは明らかではない。
「池上線」は、別れを告げられた女性の気持ちを綴ったものであるが、身勝手に別れた男が、勝手に女の気持ちを想像して作った歌詞である。
別れを切り出した男は、「待っています」という女の言葉を聞きたいものである。女はそんなことは言ったとしても、すぐに忘れてしまう。
こともあろうに、「池上線ふたたび」という歌が作られたという。
「池上線」の発表時から36年も経った2012年に発売された「池上線」のアンサーソングだという。
しかし作詞者は男性であるが「池上線」と同じ人ではない。作曲者は「池上線」と同じ人である。「池上線」も「池上ふたたびも」も女性歌手が自ら作曲し、歌ったものである。
別の作詞家がやはり女性言葉を使って、36年後に何を言いたかったのか。
「あなたとなら死んでもいい。そんな時代もあった」というフレーズが3回繰り返されている。
「池上線」以上に、男の身勝手を女の失恋の悲しみに置き換えている歌詞である。バカな男のために死んでもいいという女性などいない。
「池上線」と「池上線ふたたび」を歌った女性に聞いてみたい。
あなたは何を考えてこの歌を歌っているのか。(了)
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