「登記と誤解」の続編です。登記において人々が誤解していることははたくさんありますが、「権利証」に関する誤解は、落語のように滑稽です。
「登記をして権利証さえ持っていれば安心だ」と思っていないでしょうか。息子の嫁に権利証を盗まれないように、毎晩枕元において寝るなどということをしていないでしょうか。
最初から結論ですが、登記には権利証という書類は存在しません。
「いや私は登記をして司法書士さんからもらいましたよ」という人がいるはずですが、それはそう思い込まされているだけのことです。
「権利証と言えば登記そのもののことではないか。それが誤解させられているものだとしたら大変なことだ」と思われるのは至極当然のことです。しかし誤解させられているのです。
物事を誤解しているとしたらなんらかの形で不便とか、おかしいとか、不利益を受けているといった事象が現れるものですが、権利証でないものを権利証と誤解していてもなんの不便も不利益もありません。だから滑稽なのです。
権利証なるものが一般社会で役に立つことは一切ありませんから、誤解に気がつかないということなのです。
それに登記所においても、権利証でもない権利証を、権利証として人々が理解しているなら、そのまま放っておこうという意図があるようにも見受けます。
登記は権利の証明制度ではありませんから、「権利証」を発行することはありえないのです。
「権利証」が本当に「権利証」であるならば、それを銀行に持っていけば、担保としてお金を貸してくれるはずです。しかし「権利証」を担保にお金を貸してくれる銀行はありません。相手にすらしてくれません。権利証ではないからです。
では「権利証」とはなんなのでしょうか。登記には「登記済証」という書類があります。(現在では登記識別情報といいます)
この書類に「権利証」という文字を勝手につけて、司法書士が顧客に渡したのが「権利証」です。
なぜそんなことをしたかというと、高い金を払って、登記は権利の証明制度ではないとしたら登記にありがたみもなく、報酬ももらいにくいからです。
何年か前、若い女性司法書士が、「この書類は権利証と言って、お役所様からいただく有難い書類です」と言って、権利証を依頼人に渡していたところを見たことがあります。みんな騙されているのです。
登記の本質を知らなくても司法書士になれるというのが司法書士という資格です。
では、権利証でもない権利証を、なぜ大事に保管しなければいけないのか、ということが気になります。
保管しなくたっていいのです。破いて捨てたって一向に構いません。
捨てたからと言って権利がなくなるわけではありません。まさかと思われるかもしれませんが本当です。「権利証」なるものは権利を体現していないのです。
権利というものは登記によって成立するものではありません。登記をしたってしなくたって権利は権利です。
この辺のことについて登記制度は国民に説明をしていません。
登記制度は発足当時あまり利用されなかったと言います。単なる公示制度ですから、何も自分の財産を世間に知らせることもないと人は考えたのでしょう。
制度が発足しても利用者がいない。いつの時代も役所はメンツです。そんなことから登記をしないと大変だとか、登記をしないと財産を乗っ取られてしまう、といった登記神話が作られたようです。
先ほども言いましたように、登記においては「登記済証」は発行されますが、「権利証」なるものは存在しません。
結局権利証を保管しているのではなく、権利証という文字をつけ足された「登記済権利証」を保管しているのです。
さらに意外なことになりますが、「登記済証」を大事に保管するのは自分のためではなく、登記所のために保管させられているのです。大事に保管させるため、司法書士が登記所に忖度して権利書という名称を付けたのかもしれません。
登記手続きにおいては、登記した本人を登記所が確認する必要があります。それをしないと不正確な登記になってしまうからです。
しかし登記には本人の住所と氏名しか記載されませんから、いくら印鑑証明書だの住民票だの提出させても本人と確認できることができません。生年月日や写真も掲載すればいいのでしょうが、そういうことにはなっていません。
そこで考え出したのが「登記済証」なのです。登記したときに本人にしか渡さないことにして、「本人しか持っていないものを持っている者は本人だ」という極めて簡単な理屈で、登記所の本人確認義務を果たしたことにしているのです。昔忍者が利用したという割符と同じです。
しかも驚くことに、この登記所のための書類を申請人に作成させていたのです。登記所はその書類に「登記済」という印を押すだけです。
こう見てくると、登記とはなんなんだという気になります。権利証まで嘘っぱちです。
登記という制度は国民のための制度ではなく、国の民事行政のひとつです。登記手続きは申請によって始まりますが、申請人は登記の当事者ではありません。
あくまでお上に登記を願い出る申請人に過ぎません。
それが証拠に、登記が終わって登記所が交付する登記完了証、登記識別情報という書類(情報)にはあて名がありません。
さらに次回で、登記制度は自らを「信用してはいけない」と言っていることについて書くことにします。
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