先日、自民党の茂木幹事長は、次期衆院選での野党候補一本化の動きに対し、「選挙だけを目的にした組み合わせは野合と呼ばれる」と批判した。
しかし野合という言葉は実に品のない言葉である。野合というのは自民党と公明党のことを言うのではないか。まさに目くそ鼻くそを笑う、である。
茂木さんという人、東大出の大変な秀才と聞いているが、でもちょっと怖すぎる顔をしている人である。気分屋のように見える。部下達は大変だろう。
以前ある会社の社長さんが、会社の不祥事に際して記者会見で頭を下げて謝罪した。実に紳士然とした立派な謝罪会見であった。
社長室に戻り直近の部下を集めて「テメーら、この俺に恥をかかせやがって」と怒鳴り散らした。茂木さんという人も人相は違うがこんなことをするだろうな、と思う。
社会党が消滅してから(まだ消滅していないのかもしれないが)野党という存在が不明になってしまった。
1党独裁はいい結果にならないことは分かり切ったことなのだが、肝心の野党が体たらくで、自民党の我が世の春が続いている。
「有難いことに奴はもう戻ってこないよ」という映画のセリフがあった。
投票したいが投票する候補者も政党もないと言うが、第2党に投票すればいいのである。第2党が正しいということではない。国民にとって利益とするには第2党を強くすることである。
選挙に行ってもしょうがないという風潮が国民の間に蔓延している。その恩恵を受けるのは与党である。大手広告代理店によって、選挙に行かせない演出がなされているという噂は本当かもしれない。
いつも思うことだが、こんなに国会議員の数は必要なのだろうか。
高級公務員も含めて、国会議員たちの非正規雇用ということはできないものだろうか。一般労働者にできたことなのだからできないことはない。
「不都合があったらやめてもらうよ」、というのは昔から雇い主の常套文句であった。山茶花究(さざんかきゅう)という役者がいたが、こんなセリフをしゃべらせると実にうまい。
国民がこういうセリフを議員さんたちに言ってもいい気がする。何しろ議員さんたちは公僕なのだから。
6回目のワクチンは受けないことにした。コロナのことはどうなったのだろうか。マスクもアクリル板も外出も、すべて個人の判断ということになった。
そのようにしたことでコロナの問題が一歩も二歩も前進したと手柄のように政府は言うが、問題放棄ではないか。コロナが普通の風邪と同じだというなら、あの騒ぎはなんだったのだろうか。
バイデン大統領が平和の町広島に核のボタンを持って行ったということを句にした川柳が新聞にあった。これぞ川柳という感じである。人様の作品をそのまま掲載するのも失礼なことなので残念であるが掲載はしない。
習近平が沖縄を琉球として発言したらしい。いろいろ解釈がされているが、意図するところは決まっているではないか。沖縄の知事さんは中国に助けを求めたいのかもしれない。誰が見たって沖縄は犠牲を強いられている。
今日女房はマチス展に出かけた。パンフレットではマティスである。あまり絵のことは知らないが、やはり有名な画家の絵には力がある。
上野の森は新緑たけなわであろう。上野は梅雨時が特に美しい。文化会館から木立を抜けて、国立博物館、芸大と歩く道筋がいい。
この辺は昔すべて寛永寺の敷地であった。今寛永寺は上野の山の端っこに、追いやられたようにある。根本中堂も建物は大きいが、追いやられては立派というようには見えない。
上野駅の東口(中央口というらしいが)は今でも戦後を思わせる雰囲気が残っている。
かつては集団就職の終着駅であった。「ああ上野駅」の世界である。
しかし西口は全くの別世界、文化の町である。上野という町は、一つの町に二つの顔がある不思議な町である。
そういえば駅前の美術館には、いつも考える人がいる。(了)
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