3日ほど前、気分転換のため車を走らせ、いつもの多摩湖に行ったがまさに桜は満開。公園のほぼ全域に桜が植えられていたことが判る。
昨日、ようやく女房のコロナの熱も下がってきたので、満開の桜を見せようと、また同じコースを女房と走った。もちろん窓は全開。しかし5日間も一緒にいたのだから私に影響がないはずはない。コロナの感染力が強いものであるなら私もそろそろである。
3日前の景色とかなり違っていた。葉桜になりかけていたが、桜全体に華やかさがなくなっている。一昨日の強い雨風のせいか、道路は花びらで埋まっていた。それでも名残の桜。車を止めて歩き始めたが、後部座席の窓を閉め忘れ、私だけ急いで駐車場に戻った。
小泉進次郎氏が花見のマナーの悪さを嘆いていた。花見の後はゴミの山というのが定番である。日本人の公共心がいつも問われるが、日本人に高い公共心があるということはない。そのことはすでに何十年も前に、アメリカ人の女性学者によって指摘されている。
私が住む町内会のゴミ置き場は、近所の農家が建てた節税用のワンルームマンションのゴミ置き場を利用させてもらっているが、ごみの分別はひどいものである。
若い入居者が多いからゴミ置き場がいつも散乱しているということは言えるだろうが年配者でも同じである。やはりアパート住まいというのは無責任になってしまうのであろう。管理会社が何度も注意しているらしいが、守られたことがない。
家主も、あまり注意すると借り手がいなくなると、見当違いの心配をしている。人は誰でもまず自分のことしか考えない。
何年か前から犬の糞の始末が行われるようになったが、犬の小便はまだほったらかしである。家の植え込みなどに犬が小便をしても飼い主は黙ってみているだけである。ひところはマスクが道路に捨てられていた。家に持って帰りたくないということだと思うが、誰も見ていなければ構わないということである。
公共心と言えばなによりも政治ではないか。政治家たちには私利私欲しかない。小泉さんも今になって花見のゴミに驚いたというが、もともとボンボン育ち、これからいろいろ経験されていい政治家になってほしい。
大谷選手がホームランを打ち、打率を挙げているがチャンスに打てない。マルチヒットを続けていると評価されているが、野球はチャンスに打ってこそのヒーローである。満塁での大振り三振は見ちゃいられない。コンパクト打法にしたらホームランが出なくなるであろうから、ただイライラして見守っているしかない。
寺田農さんが亡くなった。81歳。肺がんを患っていたらしい。農は「みのり」と読むそうだ。ずっと「のう」と思っていた。
なんかいろいろな役をやっていたが、いい役者だったなあという印象がある。自分は二枚目でないのに役者をやってきたと自嘲気味に話をされることがあったが、年と共に二枚目になった気がする。刑事部長などの役をやると実に格好良かった。ご冥福を祈る。(了)
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