公園の紅梅が咲き始めた。2月の初旬は1年で一番寒い時だが、そのときに咲く。いろんな花があるものである。
正月に飾った梅もどきを庭に置いていたら、メジロがなん羽か実を食べに来る。乾燥しているから食べにくいと思うがどうなのだろうか。
また春が来る。森永さんは今年の桜を見ることができなかった。
昔桜は4月に咲いたのではないかと思う。小学校の入学式の時、講堂のそばに咲く桜の記憶がある。
調べてみると1980年以前の東京では、3月に開花し4月上旬に満開となっていたらしい。現在は3月中に開花し満開になるようだ。
3年から4年ごとに1日ずつ開花が早くなっているというから、私が小学生の頃は4月が開花の時期だったのかもしれない。
小学生のころ最初に習う歌は「春が来た」であった。6年生の時に、音楽の先生が弾くグランドピアノの伴奏で早春譜を習った時の感動は今でも心に残る。
春の歌で早春譜と並んでこころに残るものに「どこかで春が」がある。この曲はピアノ伴奏の記憶がないから、3年か4年生の時に習ったはずである。
素朴なメロディーと歌詞が実に単純で、気持ちの中にスーッと入ってくる。
「どこかで春が生まれてる 水が流れ出す 雲雀が啼いている 芽の出る音がする」
「山の三月 東風(こち)吹いて」はもちろん小学生には分からないが、東風(こち)とは春のことであるということを覚えた。
最近の小学校の授業では、「東風(こち)」は「そよ風」と歌っているようである。
東風と言えば菅原道真の歌となる。ここに引用するまでもないが、そんな昔から東風は春の風を表すものとして使われている。しかし東風に春の風の実感はない。分からない言葉を分からないまま歌っていたから、「どこかで春は」記憶に深く残ったのかもしれない。まさに「どこか」である。
天気予報で、例えば「北よりの風」と言う場合、北寄りの風なのか、北からの風なのか、と考えることがあった。
東風は東から西に向かって吹く風である。東の京から西の太宰府に左遷された道真の気持ちを歌った歌である、という説がある。
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