本当に日本の政治家はダメだ

つぶやき

 「私はコメを買ったことはありません。支援者の方々が沢山くださるので、まさに売るほどある」
 18日、江藤拓農林水産大臣が佐賀県で行った講演会での発言。

 19日、参議院決算委員会での江藤大臣の謝罪発言があるが、ここに引用するまでのこともない。アホらしくて書く気にならない。

 こんな男が農水大臣。早くも石破総理の任命責任を問う声。任命者も知らなかった江藤大臣の愚かさ。日本の政治がもともとだめなのだ。

 江藤大臣のことで憤慨して大相撲のことを書いてはろくなことにならない。しかし目先を変えなければ不愉快が納まらない。
 
 大相撲を見るたび汚らしい見世物だと思う。力士の姿が見苦しい。中にはカッコいい力士もいるが、なによりスポーツ選手にしては腹が異様に出過ぎて単なるデブである。

 相撲の力士はそういうものである、ということは承知しているが、きのう体操の試合を見たせいか、同じスポーツ選手としてのあまりの違いに不愉快にさえなる。

 相撲は型を重んじる。そうでもしなければケンカと区別がつかないということである。戦いが見苦しい。張り手、ツッパリ、のどわ、横っ飛び。力士というがサムライのすることではない。

 いやにツッパリ相撲が多い気がする。立ち会ってがっぷり四つということがない。
 「四つ」は差別用語になるらしい。そのため「がっぷり四つ」は放送禁止用語になっているようだ。放送料も収入のひとつ。四つ相撲は相撲協会として禁止しているのかもしれない。

 いつも感じることだが土俵が狭すぎる。あんな狭いところに大の男二人と行司が立っている。行事は飛び回り、時として力士の下敷きになったり、吹っ飛ばされたりする。
 
 土俵が狭いから物言い相撲が多すぎる。技は決まっていても、どっちの足が先に出たかで勝負が決まる。体は土俵外に出ていても飛んでいれば負けにならない。翔猿という力士がいるがそういうことらしい。

 ツッパリ相撲で力士が砂かぶり席に飛び込むことが多い。これぞ相撲の伝統ということなのか。相撲は神事ということになっている。神社の境内でのむしろ敷きの雰囲気を残したいということであろうか。
 
 まあ、とは言いながら、片膝を上げて酒を飲み、つまみや弁当を口にして観戦するスポーツは他にない。砂被り席が椅子席になったら、相撲は鑑賞するものになる。

 相撲は昔から見物であった。ボンクラ大臣を忘れるには相撲見物がいい。

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