もう刻む人生もない

つぶやき

 空豆を買いに武蔵村山の大型ショッピングセンターへ。

 家内に言わせるとここの八百屋は飛びきり安い。

 一袋何十さやも入って500円。近所のなんとかマートで買えば、4さやくらいで500円。

 お昼もここのフードコートで、と思ったが、富士見市の大型ショッピングセンターにうまそうな焼きそばがあることを知り、急きょ富士見市に向かう。

 私は焼きそば、家内はサムゲタン。期待通りにおいしい。

 いつも大型ショッピングセンターのレストランでは裏切られる。どこもおいしくない。ここは別のようだ。

 食後は家内とは別行動。1時間半後の待合せ場所を決めて、それぞれ好きなように。

 時計屋に寄る。現役の頃だったらすぐにでも買ってしまいそうな時計がずらり。

 ちょっと年配の店員が寄ってきて、「時計がお好きなようですね」と声をかけてくる。

 「いやーもう、こんないい時計で時間を刻むような人生は残っていないよ」と言うと、

 「そうきましたか。素晴らしい言葉ですね。でもお客様のこれからの人生にはピッタリの時計だと思います」
 値段は300万。

 店員がそばから離れない。売り込もうとするのではない。私の時計愛を感じたらしく、「いろいろお話を聞かせてください」と言う。なかなかいい人間である。

 いろいろ話をして店を出る時、「久しぶりにいろいろ勉強させていただきました。ありがとうございました」と頭を下げられた。300万円の時計。そうか、私の残りの人生に似合うのか。

 時計屋を出て帽子屋を見つけた。このところちょっと帽子に関心がある。

 若い女性店員が、こぼれんばかりの笑顔で迎えてくれる。

 なん点か見つくろってくれて、「どれもみんなよくお似合いです」値段は3,900円。

 そこに若い男性が入ってきて、思いもしないようなデザインの帽子を試着。それがとてもよく似合う。

 そうなんだ。もう新しいものを買う歳ではないのだ。安くても高くても、もういいんだ。

 家にある古いものを使い切るのが年寄りというものだ。

 黙って店を出た。

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