新聞は権力を批判するためにある

つぶやき

 日本に春と秋が無くなるという話を聞いたが、確かにきのう夕方は冬のようであった。麻のシャツでは寒くて血圧が上がる。厚手のシャツを取り出して、焼酎もロックではなくお湯割りになった。
 何ヵ月ぶりかで多摩湖を散策したが、水位がずいぶん下がっている。今年は雨が少なかった。

 季節の秋は素通りかもしれないが、値上げの秋は確実に来たようである。
 1万5千を超える商品の値上げが予定されているという。そのうち最も多いのはソーセージやチルド麺、缶詰などの加工食品で、値上げ品目の半数を超える8,000品目に上る、とネットにある。

 我が家は老夫婦二人。昨夜の餃子の残りをチンしてサラダで終わりである。
 老後の2000万問題というのは、若い人と同じ食費で計算しているからではないかという話もある。

 ジャニーズ事務所の記者会見があったようだ。
 しかしジャニーズ事務所のタレントさんの数に驚いた。テレビはジャニーズ事務所でもっているようなものではないか。あれほどのタレントがいるならテレビが大騒ぎするのも納得できる。ジャニー喜多川という人の商才は性癖と同じくらいあったようだ。

 ジャニーズの名称がなくなるということについて街頭インタビューをしていたが、答えは「無くなってもいいんじゃないですか」、と「無くなったら寂しいです」の2つしかない。これで公平な報道をしたことにしている。

 今朝の毎日新聞の社説には「改名では問題解決しない」と題してジャニーズ問題を取り上げている。改名では問題解決しない ことぐらい誰でも判っていることである。
 今までこの問題を取り上げてこなかったことに対する反省記事は見当たらない。
 見て見ぬふりをしていたとか非難するが、それは新聞だって同じである。目くそ、鼻くそを笑うである。

 性の問題は個人の問題として認識されてきた。ジャニーズのタレントが性の被害者だとすれば、昔から被害者はいたことになる。鞍馬山の牛若丸も戦国武将の小姓達もみんな被害者である。

 ジャニーズ問題は、ジャニー喜多川が生きていたときは、メディアが握りつぶした犯罪である。

 日本の社会では、性行為は合意の上ということが、そうであってもそうでなくても、そういうことになっている。

 以前女性ジャーナリストがテレビ局の社員に性的暴行を受けたとして事件になったことがあるが、世間も政治家も合意の存在を勘ぐる。被害者である女性の言い分を認めない。

 ジャニーズ問題は、合意のない性行為が存在することを初めて社会が認めた事件となった。あれだけの被害者がいれば頬かむりするわけにもいかない、ということである。それも発端は外国メディアの告発であった。

 新聞は権力を批判するために存在する。社会悪を告発する義務がある。
 その新聞が沈黙しては、国民は何も知ることができない。
 政治権力に屈せず、広告主にも屈しない覚悟が必要であるがもうすでに遅い。破綻が始まっている。(了)

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