戸籍は人生

つぶやき

 明日は喉頭がんの定期検診。まあ大丈夫だろうと思うが、いつものように不安な気持ちになる。

 母の郷里方のいとこの一人が、今から50年ほど前に35歳の若さで亡くなっている。

 いとこと言っても親しい関係にあったわけではなく、歳も離れていたし、子供の頃、母と田舎に行った時に顔を知ったくらいの人である。

 耳の裏にしこりができた、という話が始まりであった。今思うと咽頭癌とか鼻腔がんだったのかもしれない。固いしこりにいいことはない。

 いとこの死後、祖母の葬式の時に、いとこの奥さんに会ったことがある。母とは以前からの知り合いであったらしい。

 夫が亡くなってから、男を家に引き入れている、と村で噂され、その悩みを母に打ち明けていた。

 母も未亡人。何かその人の気持ちの慰めになるようなことを言えたのだろうか。

 母の郷里の戸籍を取り寄せてみた。古文書のようなものである。
 亡くなったいとこは、5人いる男のいとこの内の4番目の人であった。

 いとこの中に、戦艦武蔵と共に戦死した人がいると聞いていたが、昭和2年生まれの次男であったことが分かった。

 戸籍には、「昭和19年10月25日時刻不明比島方面に於いて戦死」とある。

 このいとこには2歳違いの兄がいるが、農業の後継者として兵役を免れたということなのだろうか。

 昭和18年に出征したとすればまだ16歳。死んだときは17歳。
 出征時のいとこの写真を見たことがある。周りは日の丸の小旗だらけの中に、笑った顔のいとこがいた。

 戦艦武蔵が撃沈した日、このいとこが枕元に立っていた、という話を、そのいとこの母親から何度も聞いたことがある。
 20ワットくらいの田舎の灯り。本当のことだと思う。

 母の兄弟は11人と聞いていたが、戸籍によると7人であった。
 四男と記載されている母の弟になる人の氏名欄は「無名」と書かれている。

 昔母から、口減らしと言う言葉を聞いたことがある。東北ではなく、茨城県でもそういうことがあったらしい。
 
 この弟の死の時、母は3歳前であった。自分が成長して、末っ子と思っていた自分に、成人することができなかった弟がいたことを知って、なにか想うことがあったのであろう。

 戸籍もコンピューターになった。これでは人生にならない。あの読みにくい手書きの戸籍であるから、人生がドラマになる。

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