愚痴はよそう体に悪い

つぶやき

 老後、食べていけないという人も多いから、こういう言い方をしてはいけないのだろうが、この社会いろいろ問題はあっても普通に働いて生きてきたのであれば何とか老後は命をつなぐことはできる。決してひどい社会ではない、と言えるのではないか。

 そうであれば年寄りは何も文句を言うことなく静かに余生を過ごしていればいいいのだが、愚痴というのは年寄りのためにあるらしい。
しかしよく見ればひどい字である。愚かで痴れ者。いいところが一つもない。
しかも愚痴は話すものではなくこぼすもの。確かに年寄りの言葉である。

 購読している新聞の日曜版が今まで別刷りであったがこの前の日曜日から本紙の中に組み込まれた。製作費の削減である。
 1週間分のテレビ番組表は相変わらず掲載されているが必要なものなのであろうか。続けているのを見ると読者のニーズがあるということであろう。テレビのための新聞である

 我が家の隣の新聞屋さんは廃業してしまった。別の商売を始めるということが、それからずいぶん月日がたった。ご主人も若いと思っていたが60歳を超えたようだ。年金と貯えで暮らした方がいい。商売が上手そうな人にも見えない。

 何度かこのブログに書いてきた近所のスーパーがいよいよ閉店である。これからは本当にパンツ1枚買うのに電車に乗っていかなければならない。
 商売というのは現金なもので、皆様のお役に立ちたいなどと言っていながら儲からないとなれば人の迷惑など見向きもしない。
 損してまで人のために商売するとは思っていないが、開業の時は、損してお客様を大切にします、という触れ込みであった。

 給料が上がらないらしい。勤め人の年収は韓国より少ないという。ここ何年か給料について社会的問題になっているが、上がる気配はない。私には関係のないことであるが、これからの若い人のことを考えると無関心というわけにもいかない。

 なぜ給料は上がらないのか。経営者に払う気がないからである。
 働く人がいなければ企業は成り立たないが、働く人の給料が経営を圧迫する。経営を圧迫せず、働く人を確保しなければならない

 外国であれば賃上げのストライキが決行されるところであるが日本の社会はもはやストはない。先日のデパートのストは賃上げではなく、雇用確保のためであった。
 日本人は転職の煩わしさよりも、安い給料に甘んじて安住を好む。だから給料は上がらない。

 給料は上がらないのに物価は上がる街の大衆食堂などは、値上げは客離れになると料金改定を我慢する。値上げするのは大手ばかりとなる。
 行きつく先はどういうことになるのだろうか。
 ゼロから膨らんでいくということであれば期待が持てるが、膨らんだものが縮んでいくというのは希望の持ちようがない。

 今週の土曜日に、娘の家にフランス人の高校生がホームステイとしてる。孫と同級生である。
 日本語を専攻しているということもあり、日本食を楽しみにしているらしい。我が屋にも餃子を食べに来るという。これは孫のリクエストらしい。女房の餃子は絶品である。

 しかしラーメンも食べに行くというから、日本と中国の違いが判らなくなってしまうのではないかと心配する。
 白木のカウンターで、これぞ寿司というものをご馳走したいが、そんな店がなくなってしまった。寿司は回ることがスタンダードになってしまった。
 私も中国人に間違えられないよう、和服を着て歓待するつもりである。 ()

コメント

タイトルとURLをコピーしました