昨日息子が泊まりに来た。来月学生時代の友人たちと、アメリカで働く友人に会うためにアメリカに行くらしいが、その打ち合わせの帰りだという。
息子から転職することになったという話を聞くことになった。初めて聞く話ではないが、熟慮の上決めたらしい。その報告もあって泊まりに来たのかもしれない。
昨年部長職に昇進したという話を聞いていた。本人も満足していたようだが、それからさほど日が経っているわけではない。親としては少々気になるところではあるが、思い付きではなさそうである。
息子は新興ではあるが知名度も高い民間の大手金融サービス会社に勤めている。入社して25年ということになるが、やめ頃なのかもしれない。
息子は私と同じ歳に転職することになる。親子のつながりというものであろうか。
私の場合は自営であったので、いわゆる転職ということではなく転業と言った方が正確である。
バブル崩壊後不動産業は、にっちもさっちも行かなくなった。幸い借金をしていなかったので貯えで食いつないでいたがそれも限界があり、士業への転業を考え、国家試験を受けることにした。
公表されている合格率は2パーセントとされているが、冷やかし受験者を数に入れての数字である。実質合格率は30%くらいではないだろうか。
特別難しいという試験ではない。3人に1人は受かるが、しかし自分がその3人のうちの1人になことはそんなに簡単なことではない。
私の転業はまさに生存をかけたものであったが、息子の場合はよく言えば引き抜きかもしれない。企業ではなく教育機関の職員になるらしい。
民間企業の40代から50代。私には経験のないことであるが、どんなにいい会社であっても企業は企業。いろいろと問題が生じる年代なのかもしれない。
孫たちにこれからお金のかかる歳であるが、私のときとは違い余裕があるようである。なにより転職先の給料が破格である。そんなにうまい話はあるのか、ということが心配であるが、転職詐欺でないことは確からしい。
転職に悲壮感がないのがいい。昔の転職は落ちていく一方であった。今の時代昇っていく転職もあるようだ。
私の人生は47才からのものがすべてであった。人生に無駄はないというが、それまでの人生は「このままではダメだ」ということを思い知らせるだけのものであった。
今まで無駄だったと思える人生はいい人生である。無駄のままであったら、本当に無駄な人生ということになる。
息子の転職は食べるためのものではなく、自分を生かすための転職のようだ。
親として心配と羨望が同居する息子の転職である。(了)
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