先週の土曜日に、息子が学生時代の友人2人とアメリカに行った。アメリカに住む同じ学生時代の友人に会うためである。
多分ニューヨークの町で撮ったと思われる4人の写真が送られてきた。みんな40代の半ばを過ぎたが、学生時代そのままのようだ。
一緒にドジャーズとヤンキーズ戦を観戦している写真も送られてきた。アメリカで生活する友人がチケットを取っておいたらしい。
何年振りかでヤンキー・スタジアムで行われたドジャーズとヤンキ―ズ戦と聞いている。チケットの入手も大変だったろうと思う。
私も彼らが学生時代の頃、何度か会った事がある。みな素直な性格の良さそうな子供たちであった。
アメリカに住む友人の家に泊まっているらしいが、大変な豪邸だそうである。彼は若いうちからアメリカにわたり、事業を起こしていたらしい。
一緒に行った友人のひとりは弁護士になっている。大学を卒業してすぐに司法書士の資格をとり、事務所勤務を少ししたらしいが、すぐにやめて弁護士になった。わずか1年で合格したようである。
司法書士は法律の事務屋であり、弁護士は法律の運用者である。職業として天と地の差がある。同じ弁護士と結婚し、これまた大豪邸に住んでいるという。
もうひとりはIT企業に勤めているらしい。息子の結婚式に野球同好会のユニホームを着て仲間と寸劇を披露し、私の家に遊びに来た時、妻がみんなに振舞ったステーキ丼がめちゃくちゃ美味かったと挨拶していた姿を思い出す。
息子も、この9月には新しい職場に入り、新しい人生を始める。47歳。人生仕上げに向かう歳である。
いい友人たちに恵まれたようだ。私にはできなかった人間関係を作っているような気がする。
思い出すと、子供の頃から私とはほとんど話をしたことがない。親子の会話というものが全くなかった。それがよかったのであろう。
娘から、サッカーで活躍する孫の写真が送られてくる。左腕にはキャプテンの腕章をしている。
1年生の頃サッカー部に入るという話を聞いて、「キャプテンになるよう頑張れ」と言ったような記憶がある。孫は特に気負ったような様子もなく、「うまい人がたくさんいるよ」と言っていた。
孫は当然のようにキャプテンになったようだ。
中学時代をイギリスで過ごしたが、入っていたサッカークラブの監督は孫の秀でた才能を見極めていたようである。見る人が見れば分かる。これが実力というものなのであろう。
サッカーで有名な高校のキャプテンではなく、学力で有名な高校のキャプテンであることがなによりうれしい。
みんな私の手の届かないところに行ってしまうようだ、と書いたが、みんな私の知らない世界に行ってしまうようだ、というのが正しい。私の手の届くものなど取るに足りないものであった。
貧乏とか苦労とか夜間高校とか、そんなものを引きずって生きていくものではない。伸びていく者は余計なものを身に付けず、どんどんどんどん伸びていけばいい。
母には悪いが、苦労をしたという親に育てられてはいけない。最初から幕が下りているような人生を送ることになるからである。
息子も孫も開かれた人生を思うまま進んで行ってほしい。(了)
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