恩を仇で返す

つぶやき

 デヴィ夫人は、ジャニーズ事件の加害者であるジャニー喜多川を批判することなく、ジャニー喜多川から性的被害を受けたことを告白する被害者を批判している。おかしな話である。
 
「ジャニー喜多川氏が亡くなってから、我も我もと性被害を訴える人が出てきた。さんざん世話になりながら、それでは死人に鞭打ちではないか。性被害の訴えを『勇気ある発言』と言った東山紀之の言葉は、まさに恩を仇で返すということではないか」

 名指しまでしているのだから、かなりご立腹なのであろう。
 「死人に鞭打ち」「恩を仇で返す」。最近聞くことのない懐かしい言葉である。

 なぜデヴィさんは、被害者の訴えを、「死人に鞭打ち」「恩を仇で返す」と思うのか。
 ジャニー喜多川という男が、その性癖から長年やってきた行為は、性被害をもたらす犯罪行為ではないか。

 犯罪者を糾弾することなく、犯罪の被害者を責めている。
 デヴィさんの心の中に、なにか常識から外れたものが潜んでいるようだ。

 デヴィさんの考えは、「ジャニー喜多川の、今の時代では性犯罪と呼ばれる行為があったとしても、ジャニー喜多川の存在によってジャニーズ達はテレビなどの世界で成功をおさめ、豊かな人生を送ることができた。だから感謝しても批判することは許されない」。
 こんなことだろうか。

 つまりデヴィさんは、ジャニー喜多川の性癖が性犯罪、性被害であるということがきちんと理解できないようである。
 男女と同じような性行為としか理解できないような頭の構造で、ジャニー喜多川事件を語っているのである。

 デヴィさんは元、インドネシア国大統領の、3番目の大統領夫人であった。
 それが彼女のプライドなのか、そうではないのか。その辺にデヴィさんの微妙な社会的立場というものがある。

 しかし、 一夫多妻制度を認める国はあっても、一大統領多大統領夫人という制度はどこの国にもない。
 デヴィさんは大統領夫人ではなく、何人かの夫人の中の一人にすぎないのである。

 正妻であった、ということにになっているが、確かに正妻であったことは間違いない事であろうが、日本では妻はすべて正妻である。
 「正妻である」と言うことは、妻であることに疑いがもたれる場合である。

 性被害を受けてジャニーズは、成功する者は成功し、豊かな地位を得た。
 デヴィさんは第三夫人になることによって、経済的成功を収めたらしい。
 どこにも問題はないではないか。男女でも男同士でも、性的関係は幸せをもたらすものである。デヴィさんの人生観とはそんなものではないか。

 デヴィさんは豊富な資金もあるらしく、大統領亡き後、ヨーロッパ社交界に華々しくデビューし「東洋の真珠」と呼ばれ、いろいろな男性と浮名を流したらしい。

 しかしどんなに豪華な家に住み、贅沢な衣装を着て、宝石を散らばせ、ヨーロッパ社交界の男性と関係をもっても、日本のセレブにはなれなかったようだ。
 日本の社会は第三夫人なる女性の立場を認める社会ではない。そういう立場の女性には、寡黙で控え目であることを要求する社会である。

 デヴィさんは「さんざん世話になりながら」という言葉を使ったらしい。
 デヴィさんにはこの言葉がいつも頭の中にあるのではないだろうか。
 世話をした相手は日本の社会。そうであるのに日本の社会は、デヴィ第三大統領夫人を認めない。

 「さんざん世話になりながら、日本の社会は私に恩を仇で返した」
 やはり気の毒なことだが、デヴィさんには屈折したものがある。(了)

 

 

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