寒空になにを思い描いたのか

つぶやき

 「春は名のみの風の寒さや」

 このところ真冬のように寒い。

 義妹が施設に入ることになったらしい。このところの徘徊など症状が進んだようだ。

 深夜家内のスマホに、「今駅に向かって歩いています。会いたいです」というメールが入る。

 義妹夫婦は富士山のふもとの忍野村に住んでいる。寒いところである。駅などない。妹は夜ふけの寒空に、あの村を歩いていたのだろうか。

 義妹は子供の頃に戻ったようだ。しきりに姉である家内と、子供の頃一緒に住んだ従弟のことを口にする。従弟は一昨年亡くなっている。
 
 義弟からのメールに「徘徊・彷徨の見守りで寝不足していますが、お手上げ状態ではありません」というメールをもらっている。優しい人である。

 義妹が自慢で育てた子供二人は、いずれも国立大出の医師。いい施設に入れることを祈るしかない。

 施設に入って気持ちが落ち着けば、体が弱っているわけではないから、いい方向に向かうのではないだろうか。

 人生とは待ち伏せされているようなものである。自分の人生と思っていても、ある日突然病気を告げられ、何もすることができなくなる。

 あまり友人、知人の病気について書くべきではないが、やはり人生の感慨というものには病気や死が入ってしまう。

 体調がちょっとおかしいと病院に行ったら、ステージの4のがんを告げられ、その数カ月後、回復することなく亡くなってしまった友人がなん人かいる。

 ひどい話である。人生でこれ以上むごい話があるだろうか。友人の恐怖。家族の絶望。みんなどうやって過ごしたのだろうか。

 仕事で知り合った知人が60代の半ばに大腸がんで亡くなった。
 亡くなる少し前に電話で激励したつもりであったが、「それがダメなんですよ」という言葉が返ってきた。

 激励など無責任なことはしてはいけないと、奥さんから寒中見舞いをもらったときそう思った。

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