毎日夜が明けることが大仕事のような気で過ごしている。
生活は「暮らす」ものだと思うが、高齢になると「過ごす」ものになる。
「暮らす」ことには意志があるが、「過ごす」ことは時の流れだけ。
私は自営業であったから、定年になったら今までできなかったことをやろう、という人生のプログラムを持っていない。
仕事をしながらやりたいことをやってきた。
唯一できなかったことは海外旅行。仕事が忙しくてわずか1週間でも休みがとれなかった。
病を発症し、その治療のための期間は1週間であったが、他人に任せるわけにもいかず、仕事を辞めた。
それが定年と言えば定年。停年と言った方がいいかもしれない。
不本意であっても、勤め人の定年と同じようなことになったのだから、今までできなかったことをすればいいが、病気の後遺症で歩くのがしんどい。
自営業をしていた者の停年と勤め人の定年とは違う。
勤め人の定年は、今まで我慢していたことからの解放、という意識があるが、自営にはそういうものはない。
仕事をやめたらこうしたい、ああしたいという事が自営者にはない。だから自営者の停年は難しい。
たまたま目にした高齢者のブログに、「今日も朝から青空、いい一日が待っている」という見出しがあった。
多分この人は勤め人だったのではないか。老後の生活が楽しいというのは、老前の生活が不本意なものであったから、と考えるのが自然。
こういう言い方が失礼であることは十分承知の上だが、若い頃から同じ会社で定年を迎えるような人は仕事のできない人が多い。
そんな人が、「朝の光に感動しました。毎日図書館に通って充実した毎日を送っています」そんな年賀状を送ってくる。
本当に充実した人生を送ってきた者は、そんなことに感動しない。充実した人生をしてきた者は充実が分からない。
それだけ停年と定年は重みが違う。
もうすぐ夜も寒さが無くなる。今晩も大地震が起きないことを祈りつつ。


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