年末宝くじのコマーシャルがとても嫌いである。「ジャンボ、ジャンボ、ジャジャジャンボ」という歌に我慢がならないほどの不愉快を感じている。
政治のことはあまり触れないほうがいいとされている。「あまり触れないほうがいい」という言い方が、政治のことに触れないことの根拠であり、それ以上の説明はしないことが通常である。
政治を語るつもりはない。政治家と女性スキャンダルについて興味本位で語るのも一興と思うだけである。
今日の新聞の週刊誌広告欄に「西村元経産相が溺れた黒ビキニ秘書官とコネクティング外遊」という見出しがあった。あの西村元経産相が黒ビキニの女性の秘書官に溺れた。惚れたでもなく、好きになったでもなく、溺れたである。ただ事ではない。「黒ビキニ、秘書、溺れた」と言葉が並べば、めくるめく官能の世界ではないか。興味を持って当然のことである。
そういえば西村さんは最近大臣を辞任し、よくテレビに映っていた。なかなかハンサムだったな、女性にモテるだろうなと、思っていたところである。そこにもってきて黒ビキニに溺れた西村元経産相、となれば実にタイムリーな記事ということになる。週刊誌というものは大したもので、庶民の気持ちを先取りしている。
もちろん週刊誌を買う気はない。同じ部屋に泊まった、いや泊まっていないといろいろやり取りがあって、場合によって名誉棄損とかの裁判になって、証人や証拠などは出るはずはないから週刊誌の敗訴となって、100万か何十万かの賠償金を払うことになるのがオチである。
議員の女性問題というものは浜の真砂と同じで尽きることがない。男性議員に限ったことではない。女性議員にもスキャンダルはある。不倫によってはじめて好きな男性に巡り合った、というようなことを言った議員もいた。不倫は二人の女性に、不幸と幸福をもたらすものでもある。
週刊誌のスキャンダル報道というのはほとんどが議員の女性スキャンダルである。なぜ議員には女性スキャンダルが多いのか。
考えるまでもなく、議員の周りに女性が多いからである。好きな女性を秘書にすれば人件費は税金で賄われるからタダである。
金があって、自分の金を使わないで一流ホテルに泊まれることができて、周りにいくらでも女性が寄ってくれば、誰だって考えること、やることは同じである。
議員になって高い地位も名誉も得て、高額な報酬が保障されれば興味を持つことはそんなにない。国会答弁も官僚がすべて考えるもので議員はただそれを読むだけである。男性議員は女性にしか関心の対象が向かなくなり、女性議員はパワハラに自分の居場所を求めるようになる。信じられないようなパワハラが横行しているが、女性はそういうことしか発散する場がないのかもしれない。
「俺は議員じゃなかったら、絶対AV男優になるんだ」と常々語っていたという自民党の議員さんがいた。いくつかの省庁の大臣を勤め、自民党の副総裁にまで上り詰めた人である。あまりにひどい女性関係が赤裸々に報道され、議員の職を失ってしまった。議員になったら少しは慎むものであるが、それができなかった人である。
女性問題を語ることは難しい。「そう言うあんたはどうなんだ」という言葉が控えているからである。男なら誰でも脛に傷を持つということになっている。
しかし女性問題というものには個人差がある。
女性好きという男はいるが、さほど女性は好きではないという男もいる。男色ということではなく、妻一人でたくさんだという男もいるということである。
世の中、妻一人でたくさんだという男ばかりだったらうまく行くのか、行かないのか。ここが私には良く分からないことである。
国会は、妻一人でたくさんだ、という男があまりいないところである、ということは確かなことである。(了)
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