妻の誕生日

つぶやき

 きのうは妻の誕生日であった。娘や妻の友人からいろいろ贈り物が届いた。
 妻の誕生日を忘れてはいないが、毎年「今度のなん曜日は誕生日なんだあ」という妻の言葉と「あ、そうだった。じゃあ、なんか買わなくちゃ」という私の言葉との会話を繰り返している。

 しかし何かプレゼントを買うということもない。「何もいらない。ほんとに何もいらないからね」という妻が言うからである。
 花も買わないし、食事にも行かない。それでいいんだろうと思っているが、それでいいのだろうか。

 人は誰でもプレゼントされればうれしいものだ。こういうことを世間では、妻の遠慮に対する配慮が足りない、というのであろうか。

 しかし財布は全部妻が握っている。こういう言い方をすると妻が強そうに見えてしまうがそうではなく、お金のことなど面倒で妻に任せっぱなしにしている、というだけのことである。

 お金は全部まかせているのであるから、欲しい物があるなら好きなように買えばいいじゃないか、というのが私の気持ちだが、やはりそういうものでもないらしい。

 最近、妻の家事がやたらと目に付く。炊事、洗濯、掃除、衣服の季節替えなど、以前より仕事の量が増えたとも思えないが、座る暇もなく動き回っている。私が仕事をやめて家にいることが多いから気になるのかもしれない。

 自分のやりたいことをいつでもやれることが自由、ということであれば、妻は自分の自由にならない生活をしてきたのだな、と今さらながら思う。

 妻も76歳になった。元気で歩き回れるうちに自由にしてあげたい。遊ぶ友達が元気なうちに自由にしてあげなければ間に合わない。私のせいでいつまでも忙しい思いをさせては申し訳ない、と思うようになった。仏様に近づいてきたからかもしれない。

 近所の住む妻の友達が、「ご主人に(私のこと)働きがなければこの人は(妻のこと)どんな商売なり仕事をしても成功した人」とよく言っていた。
 私もそう思う。

 褒めすぎであるが、昨日は妻の誕生日である。そのくらいのサービスはしなければならない。金を使わないのであるから。

 

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