大分前からのことであるが、プロ野球の選手が活躍すると、「いい仕事をした」という言葉が使われるようになった。
当初はこの言い方に対して、「野球のプレーを仕事と言うのはいかがなものか」といった批判があったが、現在では定着してしまったようである。
確かに、代打でバント成功となれば、「いい仕事をした」という言い方もいいかもしれない。あれは左官屋とか大工の仕事を見ているようだ。
誰が言い出したものなのか知りようもないが、勝手に想像すれば、野村さん、張本さんあたりか、ということになる。
「好きなことを仕事にすれば一生働かないですむ」
孔子さんの言葉とされているが、孔子さんの時代、こんな考えが必要であったのだろうか。
誰が言った言葉であれ、なんとなくこの言葉に納得するのは、働くことは楽しいことではないからである。
「人間好きなことをして生きていくのが一番」ということが、いつの時代にも言われてきたが、しかし好きなことをして生きていくのが一番難しい。
好きなことをして生きてきた、ということは、「今こんなに落ちぶれても、好きなことをして生きてきたのだから幸せだ」という意味に使われる。
自分は何が好きだったのだろうかと考えることがある。70数年も生きてきて、自分は何を好きで、何をやりたかったのか、あまり分かっていない。
何が好きなことなのかは分からなかったが、好きなようにはやってきた。
母は、私が大学のオーケストラに入部するため印刷会社をやめたとき、「好き勝手なことをしている」、と口にしていた。
24歳で結婚した時、「自分だけ幸せになろうとしている」と言った。
子のやりたいことを認めないような母ではなかったが、そういう気持ちも心の中にあったのだろう。
結婚してからも職業を転々とした。イヤなものはイヤなものとして辞表を出してきた。転職する度給料も安くなり、家内は内職をやらざるを得なかった。
勤めていたある団体の役員の不正が許せず、地検に告発し、国会で問題にしたことがある。自分の気持ちは多少晴れたが、家族に苦労を掛けた。
人生、好きなように生きてはうまくいくはずはない。
しかし、40の半ばを過ぎて、99%の運と1パーセントの努力で、好きな仕事に就くことはなかったが、好きなように生きていける仕事にありついた。
好きな仕事をしていたら、好きなように生きていくことはできなかった。
「好きなことを仕事にすれば一生働かないですむ」が、「食べていけるかどうかは別問題」という言葉が、孔子さんの言葉には欠けている。(了)
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