「ゲイのためなら 女房も泣かす
それがどうした 文句があるか」
都はるみさんと岡千秋さんが歌った「浪速恋しぐれ」という歌謡曲の冒頭部分。作詞・たかたかし、作曲・岡千秋。
ブログにも著作権の制約があるということだから作者を掲載した。
深い内容があるようで何もない、つまらない歌である。
「ゲイのため」に女房を泣かすなら、結婚しなけりゃいいじゃないか、と笑って飲んだ記憶がある。
ゲイについて語ろうというのではない。「女遊びは芸の肥やし」で、時間つぶしをしようということである。
「女遊びは芸の肥やし」ということは、古くから役者や芸人の世界で言われてきたことであるが、そういうこともあるかもしれない。例えば女形の役者が女郎の演技をするときなど、遊んだ女の仕草に演技のヒントを得るかもしれない。
しかしほとんどはそんなことはない。中村芝翫を見てもはっきりしていることである。ただの女好きというだけのことである。このところ女好きの話が多くなってしまった。我がブログの品にも関わる。
「英雄色を好む」という言葉があるから、英雄の女遊びは許されるものとなっているが、たいしたことのない役者や芸人ではそういうわけにもいかない。女遊びの言い訳というのが本当のところであろうが、肥やしにされる女性も気の毒である。
「女遊びは芸の肥やし」となると、やはり松本人志ということになる。
「普通の人にはできない遊びが、まっちやんの芸を生んでいる」と、女遊びは芸の肥やしとしてかばうファンがいるらしい。松本を天才と持ち上げるファンも多い。バカ言っちゃいけない。単なる女好きなだけである。
デビュー間もない頃だと思うが、彼らの漫才を聞いて面白いと思ったことはない。特に松本に関しては奇怪という印象しかなかった。
なんでこんな芸人がいつまでも人気があるのか、テレビを牛耳るようになったのか、不思議でしょうがなかった。
「ただ下品なだけ。笑えない。それこそ『笑ってはいけない』です。『松本アウト』ですよ」、と言ったのはデーブ・スペクター氏。
氏の言う通り「下品」ということに尽きる。下品ということがテレビにおいてもっと問われるべきである。
意外な言葉が目に入った。あるベテラン漫才芸人が、まだ若手だったダウンタウンの漫才を聞いて彼らに言った言葉だそうである。
「漫才師やから何をしゃべってもええねんけども、笑いには良質の笑いと悪質な笑いがある。アンタら2人のは悪質の方の笑いや」
これを言ったのは、やすきよ漫才の横山やすしである。あの破天荒なやっさんがこんなことを何拾年も前に言っている。
ダウンタウンの漫才は「悪質」なのだ。それをテレビが天才にしてしまった。
天賦の才能がなければ、あれほどまでの芸人になっていなかったはずだ、という見方がある。タケシに対してもそんな言い方がされるが、「下品」で「悪質」なだけで人気芸人になるのがテレビである。
あれほどまでの芸人になっていなかったはずだ、ではなく、はなから芸人になっていないのである。
デーブ・スペクター氏と横山やすし氏の言葉は、昨日の毎日新聞の夕刊に、「女遊びは芸の肥やし」は本当か、と題する特集記事に掲載されていたものである。
松本人志がテレビに戻らなければ、テレビは少しはましになることは確かなことである。
松本人志の何が天才なのか、それこそ1億総白痴である。
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