コロナの熱は5日間くらいは収まらないようだが、きのう気分転換にいつもの公園に行った。一面の春色である。タンポポも咲き始めた草むらに寝転がって、ゆっくり春を楽しもうと思ったが、起き上がるのに苦労した。
どうやら水原一平の違法賭博に、大谷選手は一切関与していないようだ。捜査は確定したと言っていいのだろう。ともかくよかった。
仮に送金の話に大谷選手が関与していたとしても、それは水原を助けてあげようとした大谷選手の恩情と理解するものであり、大谷選手に責任があるような発言はするべきではない。
アメリカでの弁護士資格を有するというコメンテーターたちは、送金に関しては大谷選手が違法賭博に関わっていたかのような発言を繰り返していた。
アメリカの銀行のシステムは非常にセキュリティが厳重で、大谷選手の関与無くしてできることではない、と銀行事情に詳しいような口ぶりで言っていたのである。
ところがアメリカの捜査機関は、水原が大谷選手になりすまして送金したことを確認した。アメリカの銀行は、なりすましを見抜けないようなセキュリティだったのである。
コメンテーターたちが、アメリカの銀行の送金システムについて何も知っていなかった、ということがバレてしまった。知ったかぶりをしていただけだった。
事実が確定しない間は推測ということになる。推測では意味がないということはない。正確な推測が無ければ事態に対応することができない。専門家というのは正確な推測を立てられる人のことを言う。名医の見立てというのはそういうことである。正確な推測のできない人はただの素人である。
今回の弁護士さんたちの発言は、いつもの通り自分のテレビにおける立場を考えただけのもので、すべて未確認、無責任な発言である。テレビを面白い見世物にするための発言である。
最初から、「あれだけの金額である。大谷選手が関与していないはずはない」という思い込みから始まっている。言ってみれば彼らはいつもテレビの太鼓持ちなのである。
テレビ局はアメリカの弁護士資格を有する人の話というものを信用するようだ。よっぽどすごい資格かと思っていたらそうでもないらしい。
テレビに出ている弁護士の発言は千三つ(せんみつ)で聴いていればいい。本業よりテレビに出ることに夢中になっているようでは、弁護士としていい仕事をしているはずはない。
あれほどの楽しみと喜びを人々に与えてきた人である。なぜテレビは大谷選手に対する報道を信頼から始めなかったのであろうか。大谷選手に疑いを持った人たちは、今後大谷選手の活躍を喜ぶ資格はない。謝罪すべきである。
またまた若狭弁護士がいつもの通りの発言をはじめた
小池百合子都知事の学歴詐称騒動が刑事事件になる可能性があるというのである。
ほんの少し前、裏金還流の問題がこのまま終わるはずがない。検察は要人の逮捕を考えている、というようなことを言った人である。その後誰も逮捕されていない。
この人は何の根拠もなく、思慮もなく、思い付きでしゃべってしまう人のようである。
小池さんの学歴詐称は、問題とすべきが暗部があるのであろうが、小池さんも一筋縄でいくような人ではない。私文書偽造などで逮捕されるようなヘマはしないであろう。
刑事事件にならなかったらどうするのだろうか。「ちょっと思いついたから指摘した」では、ヤメ検弁護士として資質を問われるのではないか。
あまり気分がよくないから思い出したのかもしれないが、茅ケ崎の市役所前の広場に、加山雄三さんの等身大の銅像が設置されたという。どう理解したらいいのだろうか。銅像と言うのは偉人と思っていたが、タレントでもいいらしい。
コロナで亡くなった志村けんさんも銅像になっている。
多分いずこでも反対者がいたのではないかと思うが、それを押し切ったものはなんだろうか。
こう言っては失礼になるのかもしれないが、なんか情けない気持ちになる。人々に愛された芸能人と銅像は別であると思うのである。
何年か前に伊勢・志摩に旅行した時、港の建物に「郷土の誇り 鳥羽一郎」などと書かれた大きな垂れ幕が飾ってあった。これには参った。鳥羽の明るい海が一瞬にして暗澹としたものになった。
地元の人にはそういうものなのだろうなと思うが、観光客を迎えるメイン玄関にいきなり「鳥羽一郎」とは、どんなものだろうか。
銅像といい垂れ幕といい、こんなふうに思う私がおかしいのだろうか。(了)
コメント