また墓の話になるが、まだ買うことを決めていない。踏ん切りをつければそれで決着というところまで来ているが楽しい買い物ではない。その踏ん切りをなるべく後に伸ばしたいといったところである。
どんな風に土に還るかということである。
合祀とは骨壷のまま収容するものと思っていたが、他人の骨と一緒くたにしてしまうことらしい。骨壷を保管していたらよっぽど大きな合祀堂を建てなければ収容しきれないことになる。他人と混じってしまうのはイヤなことである。
大部昔のことだが、火葬後の故人の金歯は誰のものかということが裁判の場で問われたことがある。事の発端は火葬後の収骨の時に金歯が見つからなかったからである。
昔は金持ちの自慢として金歯が多かった。火葬場での金の量は金山における採掘より効率が良かったらしい。
収骨後に残った遺骨は砕かれて灰の状態にするのが一般的とされている。
自治体の所有となり、不用品もしくは廃棄物として処分することができるが、遺族の感情もあり、残骨供養堂や永代供養堂に収められことが多いという。
墓は東向きが割高ということになっている。墓が東向きなら拝む人は西を向くことになる。西方浄土。西を向いて拝んだほうがご利益はあるらしい。
こんな歳にならなければ聞く必要もない墓石屋さんのセールス文句に耳を傾けることになった。
ある墓石屋さんのパンフレットに、会社のイメージキャラクターとして落語家が掲載されていた。あまり話のうまい落語家ではない。若い頃から親の七光りでかろうじて落語家を名乗っているような人である。
墓石のイメージキャラクターに落語家? この落語家が会社のイメージキャラクターというなら、「へたくそ」というイメージしかない。この会社は何を考えているのだろうか。
サザエさんに、諸物価高騰の折から生前に墓を建て、完成した墓を見に来た人が、「つい気分が出てしまって」と思わず泣いてしまう話があった。
「ここに入るのか」という思いはどんなものなのだろうか。
やはり墓というものは寿命が尽きてから考えた方がいいな、と思う連休4日間であった。(了)
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