問わず語り

つぶやき

 一夜を共にした女性が自分の身の上話を問わず語りに語った、というのはよく小説にあることである。大体は嘘の話ということになっている。
 人への想い、人生の無念、恨みつらみ、罪の意識。そんなことを語る時に似合う。

 福原愛さんという人は幼いころから人気者であった。
 不倫だの、離婚だの、子供の引き渡しなど、そんなことで彼女の名前を見たくはないが、不倫しそうな顔にも見えてきた。

 木原とかいう官房副長官もいろいろ話題になっている。そういう風に写真を撮るのだろうが、このところ新聞などに載る写真は、いずれも険しい表情ばかりである。あまりいい人相には映っていない。なにかを連想させる顔に写っている。

 ビッグモーターの騒ぎが収まらない。今日は違法な保険契約をしていることがバレてしまった。
 家の近所にビッグモーターがあった。確かに街路樹が取り除かれている。

 この会社のトップたちは、企業ではなく犯罪集団としての意識しかなかったのではないか。根っからの悪人が善人になることはない、というのが私の人生観である。

 台風6号が急カーブするようである。九州、西日本直撃ということになるかもしれない。進路角度からすると関東も台風圏に入りそうだ。

 母が風の怖さをよく口にしていた。九十九里の浜っぱらでキャスリン台風を経験している。風で飛んできた物によって屋根にわずかの穴が開いたとたん、屋根が吹っ飛んだという。リアルな怖い話であった。

 先日東北大震災の映像が放送されていた。あの津波と原発のシーン。いつ見てもすごい映像である。最悪の事態であれば関東に住む人々は、福島の人たちと同じように避難しなければならなかった。

 日本は多様性のある国だという。悪い意味ではないらしい。いろいろなことが併存している国ということらしい。

 日本人は無宗教だと理解している外国の旅行者には、いたるところにある寺院や神社は驚きであるという。ビル街の中に祀られている小さな神社などはまさにアンビリーバブである。神社のためにビルを変形して建てている。

 お寺と神社が併存しているのは多様性があるからということではない。そのような事態を放っておいたというだけのことである。

 マイノリティのことを持ち出すまでもなく、日本は多様性を認めない社会である。いい加減ということと多様ということがごっちゃになっている社会なのである。

 日本人は中学、高校、大学と10年間英語を勉強しても喋れない。日本が国際化できないのは英語が話せないことに原因がある、とは言いつくされた言葉である。

 なぜ英語を話せる教育をしないのだろうか。実用英語は学問ではないというのであろうか。英語の授業に会話のレッスンがないというのは、語学教育に対する根本的な欠陥である。語学は学問ではない。

 日本には素晴らしい語学教育の実績がある。相撲である。外国の力士たちはわずか数年で日本語の会話をほぼ完ぺきにマスターする。

 相撲協会は文科省よりも語学のメソッドを持っているということになる。相撲部屋を「部屋」と言うのも勉強部屋という言葉から始まったらのかもしれない。(了)

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