ときどき味噌ラーメンが食べたくなる。「無性に」という言葉をつけた方がいいのかもしれないが、それほどでもない。
いろんなところに味噌ラーメン専門という店があって、一度行ってみようかと思って行ってみると、私の好みの味とはちょっと違う。
1年ほど前、国道16号線を走りながら、確かあそこに味噌ラーメンがあったなと思って行った店が結構おいしかった。
それ以来今日で3度目の味噌ラーメンとなった。
1年近くの間に3度であれば「無性に」と言うわけにはいかない。
あるブログに少々目がとまった。他人様のブログには全く関心がないのだが、パソコンの操作中に、そのキャッチフレーズに気を取られたようだ。
夫のわがままが許せなくて離婚した、という一人暮らしの女性が、離婚後の生活を綴ったものである。
夫が夕食のときに酒を飲み、後片付けもなにも手伝おうとしないのがイヤで別れたという。今はひとり暮らしを満喫しているというブログである。
まあ、そういう女性の人生があってもいい。だがこの女性は、夫からの感謝の気持ちを受けることもなく、70代の人生を生きてきたことになる。
男は我がままで勝手なものである。女房の家事を手伝おうともしない。
しかしそんな亭主でも、酔っぱらった目で眺めているものである。
女性は自分一人が働いていても見返りを求めない。そのふくよかな姿に男の感謝がある。
しかしそういうのは昔の話。今の女性は夫の尻を叩いてでも手伝わせようとする。私の最も嫌いな女性の姿である。
このブログの女性もそういう人なのであろう。女性の自立はあるが共存がない。
最近、外観はふくよかな女性を多数見かけるが、心のたたずまいがふくよかな女性を見かけることが少なくなった。もちろん男の勝手な言い方である。
家内の知り合いの娘さんのご亭主が50代始めにして食道がんで死去。
50代の死ということにあまり遭ったことがない。
50代の死。確かに早すぎる。
なにが早いのかは人生100年に比してのことではない。子供達がまだ就学中であることが多いということである。
人によっては子供がまだ小学生ということもありえる。高校生であれば大学進学を考えなければならなくなる。
早い死は、のこされた家族の生活に直接影響することになる。
人生、自分の命に責任を感じなければいけないのは50代かもしれない。
70の壁、80の壁と言うが、それは自分だけのこと。
50代で終わってしまう人生。80近くまで生きてくると、その無念さがよく分かる。
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