火野正平さんと北の富士さんが亡くなったらしい。
火野さんは75才、北の富士さんは82才。
お二人とも死因は今のところ公表されていない。
火野正平さんは女性にモテたということだが、生来の女好きだったということではないか。
北の富士さんも華やかな女性関係が取りざたされたが、好きなように生きた人という印象がある。
何日か前に谷川俊太郎さんの訃報もあった。92才。そういう人に見えるのか見えないのか、この人も3回結婚している。
学生時代ある居酒屋で飲み合わせた学生に谷川俊太郎さんの詩の話をしたら、あんなものは読むものではないと、けちょんけちょんに馬鹿にされたことがある。
谷川俊太郎という詩人がいいと思って口にしたわけではない。その頃なにか良く判らないが、時代の先端を行くような詩人として新聞などに紹介されていたのを読んだだけのことである。
人の死が気になる。若い頃も人は死んでいったはずだが、年をとると同世代の死が気になるものである。
火野さんと北の富士さんの年齢のちょうど中間が私の年齢である。いつ死んでもおかしくない。
20年前、母の郷里のいとこが78才でなくなった。私とは20歳違いである。変な話だが、田舎(母の郷里という意味で)の人は年を取ると確実に死んでいく。
田舎のおばあさんや叔父さんや叔母さんは、みんな当然のことながらずっと私より年上だから、もうそろそろ連絡があるかなという年齢になるとみんな亡くなっていった。
しかし私とは20歳も歳が離れていても、いとこは田舎の人ということではなく、私の世代と同じ人という認識があった。
いとこが亡くなったという知らせを受けた時、いとこが田舎の人だったということがなかなか理解できなかった。
高齢になって亡くなった親や兄弟には、大往生だの好きなことをして生きてきたのだから悔いはないはずだ、と生きている者は納得するが、同世代の他人の死は自分の死を突きつけられる。
暗いブログになったが、私が死んだら家族はどう納得するのだろうか。
あれだけ言いたい放題、やりたい放題のことをやってきたのだから、なんの悔いもなく旅立っていった、と思うのだろうか。
そんなところかもしれないと思うが、私は女性関係は妻しかない。
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