新型コロナウイルス感染症による影響を補うために、個人や企業に対して実にさまざまな補助金がきめ細かく用意されたようだ。日本の社会は捨てたものではない。たいしたものだと思う。
しかしその反面、補助金だ助成金だという返還しなくてもいい給付金に関しては、不正受給ということが必ずついて回る。
お役人は国民を信じる立派な人たちであるが、国民はあまりよろしくない。
よく新聞などで報じられたのは「雇用調整助成金」である。この補助金は企業を対象としたもので、新型コロナによって従業員が休業した際に、休業手当を支援するものであった。
ある調査会社によれば、「雇用調整助成金」を不正に受給したとして公表された企業は全国で516社に及び、不正受給金額 は総額で163億2,020万円に上ったという。
そんなに少ないはずはないと思うが、とりあえずということなのか、そういう発表がされている。
従業員が一人もいない居酒屋が助成金を請求する。コロナで客が減り食べていけなかった。こういう場合は同情する気にもなる。責任を突き詰めれば居酒屋の亭主に責任はない。コロナに縄でも巻いてしょっぴくしかない。
東北大震災の時、若い男女が助成金だったのかよく分からなかったが、多額の金を役所から受け取り、その金で自動車やヨットなどを買っていた。誰が見てもおかしい。こういうのは本当のろくでもないワルである。捕まったらしい。
助成金に直接関係することではないらしいが、ある大手旅行代理店は、自治体から請け負った新型コロナ関連の委託事業で、人件費を偽って最大でおよそ16億円の過大請求をして3人の逮捕者を出している。
幹部が記者会見で頭を下げたが、企業のモラルというものが全く存在しないことを知るだけである。これはワルである。同情の余地がない。
日本の会社というのはときどきこういうことをする。どうして歯止めがきかないのか不思議である。
助成金はうまい儲け話ではない。しかしうまい儲け話ととらえる人間がいる。「浜の真砂は尽きるとも世に盗人の種は尽きまじ」である。悪いことしない人間もいるわけだから、悪い人間はやはり悪い人間なのであろう。
しかし助成金は人情の落とし穴でもある。コロナのせいで食べていけなくなれば助成金に頼らざるを得なくなる。悪意はなくても助成金というものは悪意を誘うものでもある。「陥穽を設けて陥るを顧みない」と言っては言い過ぎも知れないが、そういうことになることも多い。
儲けとは、売値と原価の差ということになる。売値を自由に決めてそれで売れるならこんないいことはないが、普通、売値は相場という制限を受ける。
相場で売っては儲けが出ないならば原価を下げるしかない。つまり品物の質を落とすしかない。誰もが考えることである。
昔働いていた建築会社は、儲けを出すために品質を落とした。通常マンションの床と天井には床材や天井材が組み込まれている。それをやめてしまった。いわゆる直天、直張り(じかてん じかばり)というものである。階下の天井が我が家の床であり、我が家の天井が階上の床ということである。
水回りや配線のため一部に床材を張るが、そのため室内に段差が何ヶ所もできてしまう。排水管などに支障が起きやすい構造になる。しかし儲けを確保するには画期的な工法であった。「作ってきたから分かるんだ」とCMで歌っているが、何が分かっているというのだろうか。
ワルイ医者がいるらしい。現役の医者が言っているそうだからかなり信憑性は高いのであろう。
「患者が元気になると医者は儲からない」その通りだと思う。どんな言い方をしたって病院経営にはこの本質が付きまとう。
ただ患者の健康に関することであるから、大きな声では言えないということである。
日本の医療費総額は40数兆円と言われている。何年か後には55兆円を超えるらしい。細かなことは分からないが、とにかく大変な金額なのであろう。
現役の時、国民健康保険料が高額であることにびっくりしたことがある。変な勘ぐりはしたくないが、医療費の不正請求も日常的に行われているのではないだろうか。
要は程度のことである。必要もないのに何度も来院させたり、検査をさせたり、無意味な薬を出したりする。医者が必要だと判断すればそれを否定するのは難しい。要はバレるような大きな不正をしなければいいのである。細かく不正請求をすればいい。
不正請求の摘発はそのほとんどが内部告発による。医者が事務員の給料を安くすると内部告発が起こる。自分だけいい思いをしようとすると人は仕返しをするものである。る。
話は変わるが、「日本は明治維新、敗戦、そして近い将来に訪れると3度目の大きな転換期『南海トラフ地震』を目前に備えているとき」と書き出す書籍の紹介記事があった。
日本の未来を憂う心配性のドクター、解剖学者の養老孟司さんと精神科医の名越康文さんが日本、そして日本人を診察しアドバイスを処方した書籍、だという。
南海トラフ地震を近代日本社会の3度目の転換期ととらえるのか、としばしボーッとした。考えてもどうしようもないことである。(了)
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