「性暴力」の意味をめぐって、中居正広氏の反論が続いている。
「“性暴力”という日本語から一般的に想起される暴力的、強制的な性的行為は確認できなかった」と、中居氏の代理人は主張する。
「性暴力」という日本語から、暴力的、強制的な性的行為が想起されるというのは一般的ではない。相手の意志に反して行う性行為はすべて性暴力である。この辺、この代理人は分かっているのだろうか。
むかしの東映映画。若い女性と悪代官。ふすまの先には赤い寝具。悪代官が女性に迫る。帯が解けて女性はクルクルと回りながらアレーと叫ぶ。進藤英太郎という役者のはまり役であった。懐かしい。子供でも見ることのできた性暴力であった。
大阪地検の検事正だった北川健太郎という男の性暴力事件。
部下の女性検事に、「これでお前も俺の女だ」。セリフが東映映画のまんま。あんなとっちゃん坊やのような顔をした男が口にするようなセリフではない。
安倍さんが首相の頃からか、「印象操作」とともに「言葉の切り取り」ということが言われるようになった。
失言とか暴言とされるメディアの批判に対して、政治家が反論するときによく使う。しかし結局問題発言とされて、政治家は謝罪することになる。
失言、暴言といえば森喜朗元総理大臣。
「イット革命」(IT革命)「大阪は痰ツボ」「あの子(浅田真央)は大事なときに必ず転ぶ」
代表作とされるのは、「日本の国。まさに天皇を中心としている神の国」
これは、首相時代の平成12年5月、ホテルニューオータニで開かれた「神道政治連盟国会議員懇談会」結成30周年記念祝賀会の挨拶で飛び出したもの。
全文を読んでみると右翼の権化のようなことではなく、会合の性格に併せた単なる挨拶口上。本人も「神道政治連盟の会合での発言なのだから、出席している神主さんたちに多少のおべんちゃらを言うのも当たり前」と言っている。
政治家達の問題になる発言の大半は、地元支援者の集まりとか、党内勉強会、党員集会のような内々の場であることが多い。
気が緩むということもあるし、ウケを狙うということもある。全体の話を聞いてみると、特に問題発言という印象を受けることは少ない。
ホットな問題発言ということでは玉木代表の「動物のエサ」発言。この発言も全体を聞いてみると特に問題とするようなことではない。彼の言うとおりである。
しかしメディアは、国民がコメ不足に苦しんでいるときに不謹慎な発言と袋叩き。玉木代表は自身のxで謝罪したらしいが、ネット上では「真意は伝わっている」「謝る必要ない」といった声が多数寄せられているという。
メディアにとって政治家と人気芸能人のスキャンダルは最高のネタ。切り取って問題発言として報道し、それと同時に発言者の真意なるものも掲載するが、今の時代には炎上ということがある。
一度切り取ってしまえばあとは世間が騒ぐ。今の時代、そういう時代である。切り取りはこれからも続くと思われる。
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