冤罪かもしれない

つぶやき

 紀州のドン・ファン事件は、2018年5月に被害者が死亡した事件だが、容疑者が逮捕されたのはそれから3年も経った2021年4月のことであった。妻が財産目当てに、覚せい剤で夫を殺害したとされる事件である。

 事件の年の2月に被害者と容疑者は結婚している。当時夫は77才、妻は21才。55才ほどの開きがある。異常といえば異常な結婚であり、結婚から夫死亡まで早いと言えば早い。
 腹上死であればどこにでもある年寄りの死であったが、そうでなかったようだから事件となった
 
 被害者は無類の女好きとして紀州では知られており、美女4,000人に30億円を貢いできたと自称している。
 女好きに関しては、10代の頃に初めて女性の身体に接し、世の中にこんなにいいものはないと思ったと自著に書いている。

 ウィキペディアによれば、いろいろ商売を経験しながら、当時としてはまだ珍しいコンドームの訪問販売に成功し、それを元手に投資や金貸しを行うことで数十億の財産を築くに至り、「紀州のドン・ファン」と呼ばれるようになっていた、とある。

 自著によれば、コンドームの訪問販売では、夫が留守の家を訪問し、主婦を相手に「実演販売」をしてみせたという。どう実演したのか、想像がいろいろと多岐にわたる話である。

 結婚は月100万円の契約による「愛のない」婚姻であったという。夜の夫婦関係など新婚初夜から冷え切っていたと容疑者は明かしている。

 エロ話としては興味のあるところであるがこの事件を取り上げたのは、ろくでもない女好きな年寄りと、愛もなく結婚した同じくろくでもない女の夫婦の夜の営みのことではない。

 この事件には確定的な証拠がない。すべて状況証拠である。
 容疑者を擁護する気は全くないが、状況証拠の積み重ねという捜査手法は冤罪を生む。

 状況証拠は合理性と蓋然性である。合理性も蓋然性もあれば、確かに犯人かも知れないがあくまで推測である。今まで冤罪はすべてこの推測から生じている。

 検察は無期懲役を求刑したが立証不十分である。
 裁判官に、合理性と蓋然性で人を無期懲役にする法律的根拠はない。

 同じく紀州で起きたカレー殺人事件の被告は死刑判決を受けている。冤罪という指摘もある。何年も死刑囚を生かしておくなら、そもそも死刑の意味がない。死刑になる恐怖を与えることが死刑の目的ではない。
 
 司法はまた同じ過ちを犯そうとしている。推測で人を犯罪者にしてはいけないのだ。
 悪を見逃すのではなく、権力に悪をさせないことが正義である。

コメント

タイトルとURLをコピーしました