優しさがなければ人ではない

つぶやき

 正月早々、いい話を聞くことができた。
 息子のお嫁さんが、結婚前から30年以上も勤めていた会社をこの春退職し、できたら進学塾のようなところに就職して、受付のおばさんでもいいから、一生懸命頑張っている子供に、「頑張ったね」と声をかけたいというのだ。

 長年勤めてきた大手と言われる会社を辞める。私などからしたら、「もったいない」という気持がまず浮かぶ。

 しかしその後、彼女の話が長く続いたわけではないが、その言葉は私の胸に残るものであった。

 私など当たり前のように、どこかに置きっぱなしにしてきた人としての優しさを、この人は、「人に優しさを伝えたい」と言っているのである。

 きっと進学塾の、とてもきれいで優しいおばさんとして、子供たちに慕われることであろう。

 家内の高校時代の友人が乳がんを発症し、来週手術ということである。
 誰よりも幸せになるような人であったが、なにより夫の自死は、彼女に不幸をもたらした。そのうえ、この歳になってのがん手術。気の毒としか言いようがない。

 入院前の彼女の一人住まいのアパートに、家内はハンドクリームと手縫いのレースの入った布きんと、きな粉の飴玉を送った。
 彼女から「とてもうれしい」という電話があったらしい。

 頑張った子供たちに声をかける。入院する友達にハンドクリームを送る。
 人生、そういう事って大切なことだと思う。優しいとうれしいは一体である。

 また朝が来る。朝はどこから来るのか知らないが、人に希望を与えることは確かなことである。

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