今年の5月に滋賀県大津市の住宅で保護司の男性が殺害された。
警察は、その保護司が保護観察をしていた男を犯人として逮捕したが、この事件に関してはその後あまり報道がなかった。
昨日、精神鑑定の結果責任能力ありとして起訴することになった、という記事があった。
保護観察中の犯罪者に保護司が殺害される。あってはならない事件が起きたと法曹関係者の間で大きな問題となったが、犯罪者が受刑後従順になるとは限らない。
私の叔父は保護司であった。保護司は国家公務員とされるが、無償である。自分が保護されなければならないような経済状態でも、何か保護司ということに生きがいを感じていたようだ。
犯罪者の更生を支援することであるから有意義な仕事であるが、なぜそれをボランティア活動とするのか。
犯罪がより狂暴となっている時、きれいごとでは済まされない。
20年前に奈良県で小学1年生の女児が殺害されたが、今日は事件後20年の日で、父親の手記が掲載されていた。気の毒としか言いようがない。
犯人はすでに死刑執行されているが、裁判でも遺族に謝罪することはなく、死刑判決に対して薄ら笑いを浮かべて聴いていたという。
死刑が犯罪の抑止力になっていない。凶悪犯罪者は死刑を恐れてはいないようだ。どうせ生きていたってしょうがない、という人生なのであろう。
日本の刑事政策は犯罪者に対する配慮である。被害者の救済に関しては考えられたことはない。
40年以上も前、「衝動殺人 息子よ」という映画があった。
理不尽に殺された息子の父親を若山富三郎が演じていた。
殺害者の少年は何年かの服役後、町を闊歩している。
結局殺され損で父親も死んでいく。
刑の均衡ということが言われる。因果応報という慣習に学問を取り入れることである。
死刑を求める被害者家族が、殺人鬼呼ばわりされるようになったのは、因果応報が学問になったからである。
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