源義経は「後(のち)の世の語り草にせい」と言って衣川の戦いに臨んだ、と村上元三氏は小説に書いている。
新しい「後の世の語り草」が誕生したことになった。メキシコとのWBCの試合における日本の劇的な逆転サヨナラ勝ちのことである。
源義経の生涯は日本人の心にふれるものがある。900年近くもの間日本人は義経を語り継いできた。それと同じ歴史が生まれたと言って何の間違いもないほど日本中が熱狂した。
私は実況を見ていない。勝ち負けをとりあえずネットで知って、試合経過は午後のニュース番組で知った。
日本は9回までメキシコに1点リードされていた。このまま終われば後はない。ランナーが1塁、2塁に出ている。ここで長打が出れば逆転サヨナラである。
打者は不振に苦しむ村上。その日も4打席無安打3三振であった。画面は村上が振りぬいたところを写し、ボールはフェンス直撃であった。
2走者がホームインした。さすが村上様、よくやったと、テレビはこれほど野球ファンがいたのかと思うほどの人々の喜びをを映した。
村上の殊勲打に水を差すわけではないが、逆転サヨナラと言うのは珍しいことではない。相手のピッチャーも、この回を抑えれば勝ちになると思うから冷静でいられるはずはない。
したがって逆転サヨナラはよくあることなのである。とはいってもこの土壇場で、不振と言われた村上が打ったのであるから、彼を賞賛すべきであることを否定するものではない。
あのメキシコ戦での9回土壇場での逆転サヨナラ。義経主従のように語り継がれることは間違いない。
しかし語り継がれるには物語が必要である。過去にも同じようなことがあった。何回か前のWBCにおいて、不振であったイチローが決勝タイムリーを放ち、韓国に勝利した試合である。
イチローは記録にも記憶にも残る選手となったが、物語にはなっていない。栗山監督は物語になった。
「代打ではなく代走」。韓国のメディアが日本の勝利を韓国内に報じた記事の見出しである。私はこれもネットで知った。
何のことだろうかと一瞬思った。普通に読めばこの言葉の意味は分からない。代打と代走は、どちらかを選ぶというものではないからである。
あの最後のチャンス。選択すべきは代打である。栗山監督は代打を選ばず、1塁走者を足の速い選手に代えただけであったことを知った。
この采配がズバリ的中したからまさに劇的逆転となった。「凄まじい勝負師だ!」「代打ではなく代走」栗山監督の采配を韓国メディアが手放し称賛!とネットは報じた。しかしそれだけでは物語にはならない。
この逆転が日本人好みの物語になるには「思い」が必要である。栗山監督は村上に「お前しかいない、お前で勝つんだ」と任せたと言う。
信頼したということだろうが、状況からすれば無茶な信頼であるとも言える。
そして1塁走者を足の速い選手に代えた。村上は自分が代えられるのではなく、走者が代えられたことに何を感じたであろうか。どんな思いで打席に立ったのであろうか。
代走に対する2つの思いがある。必ず打つという信頼と、信頼されているという勇気。
韓国は何事にも日本を敵視する国と思っていたが、こと今回のことについてはべた褒めである。
大統領が変わったせいか、韓国の野球チームが不甲斐ない結果だったからか。いつまでも日本に対する恨みがとれないようだ、と思うのは日本人だからかもしれない。
何事もやられた方は恨みを忘れないものだ。ここに書くつもりはないが、韓国は恨(ハン)の文化の国だという。どういう意味なのだろうか。一度ゆっくり勉強してみたい。
野球は信頼でやるものではなく確率でやるものだと言われてきた。そのためか野球は面白くなくなった。
昔、たった1本のヒットで1点を取るにはどうしたらいいか、ということが考えられたらしい。野球の神様という人が言い出したことだと本に書いてあった。神様が考えるようなことではないと思うが、野球はなんでもいいから勝てばいい、というものになってしまった。
信頼でやる野球にはドラマができる。確率でやる野球には勝ち負けしかない。しかし何より信頼の野球が勝ってよかった。これで負けていたら落合などは何を言い出すか判ったもんじゃない。
私は栗山監督という人を知らなかった。たしか日本ハムの監督をやっていたと思うが、そのとき初めてこの人は野球の人なんだということを知った。それまではテレビに出ていたからタレントさんかと思っていた。
大谷の二刀流を認め、入団させたのは栗山さんらしい。あの当時まで、野球の選手がバッターとピッチャーをやることはあり得ないことであった。あの王さんでさえ、ピッチャーをあきらめてバッターになったのである。昔の野球少年というのはみんな名ピッチャーで名バッターであった。
大谷の二刀流を認めることは、球団内においても野球界ということにおいても大変な事であったろう。慣例を破って才能を伸ばしたことになる。このWBC人気も大谷の二刀流があってのことだろう。大谷の二刀流といい、今回の采配といい、なかなかの人なのだなと思う。
日本はアメリカに勝ち、WBCは日本の優勝で終わった。テレビ中継はこの原稿を書き始めたときに始まったから、ちょこちょこしか見ていなかった。大谷が最後に投げた。まさにこれぞスターだ。
世界ベースボールというが、やはりサッカーの世界大会とは違う。チェコやイタリアが出場していたが、中には普段は消防士というような選手もいたらしい。かたや何百万ドルという報酬の選手たちと世界一を争う。なにか納得できないものがある。
アメリカとの試合を見ていて日本人選手の体つきに驚いた。アメリカの選手と変わらない。大柄で足も長く格好いい。以前のようなずんぐりという選手がいない。
外国との戦いというのは何か高揚するものがある。自分の国という意識を持つからであろう。それが野球であってよかったと思う。(了)
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