5月8日から新型コロナの感染症法上の位置づけが、季節性インフルエンザと同じ5類に移行することになった。
いろいろ今までとは違った扱いがされるのであろうが、我々庶民としては「結局それで大丈夫なのか」という不安しかない。
漠然とした不安と言うが、不安は漠然としているから不安なのである。不安の正体が明確なものであればそれは危険ということである。
危険には対応できるが不安には対応できない。5類に移行したからといって、コロナウィルスが安全なものになったという訳ではない。
ではなぜ5類に移行するのだろうか。コロナは最初から最後まで漠然としたものであった。
無病息災が一番いいに決まっているが、一病息災の方がいいかもしれない。
無病息災は突然死することがあるが、一病息災はそれを避けることができるかもしれないからである。
しかし問題なのはその一病がどんな病気であるかである。それが命に関わるようなものであれば無病息災の方がいいに決まっている。自分に都合のいいことばかり考えるが、人生そうは思うようにはいかないものである。
人間ドックに行き始めたのは40歳の頃である。自営業を始めるに際して今後のためにも体をチェックしておこうというようなことからだと思う。
人間ドック年齢というものがあるかもしれないが、早いと言えば早いかもしれない。
しかし胃のバリウム検査で引っかかってしまった。胃カメラを飲むことになった。
結果は問題無しであったが、初めての人間ドックで要精密検査である。気持ちが穏やかなはずはない。
以来なるべく人間ドックに行くようにしているが、若いうちは問題なしでも、さすがに10年20年と経つと、血圧も血糖値も変わってくる。
10数年前には便潜血で引っかかって大腸カメラのお世話になった。肝臓の膿疱や腎臓結石も見つかった。大腸カメラでは5つほどポリープを取った。
健康診断とか人間ドックを意味がないとする医者もいる。しかし意味がないとは言えないと思う。
歳を取って病気が見つかって、手術をするかしないかは本人の体力次第ということもあるし、放っておいても大丈夫という場合もある。
なまじ人間ドックに入って病気が見つかっても面倒だ、ということもある。しかし若い人は受けた方がいいと思う。自分が病気になってみて分かる。やはり病気は早期発見である。
発見されることがイヤで人間ドックには行きたくないという気持ちは良く分かる。しかし病気になってみると後悔する。なにより早期発見の方が治療が楽である。
命に関わる病気であれば1,2年の間に早期から末期になってしまう。子供に対してまだ責任のある若い年代の人こそ、人間ドックに行くべきだと思う。
人間生きていることは運であるし、病気になるかならないかも運である。病気になっていい医者に巡り会うのも運である。何でもかんでも人生は運である。
以前ブログにも書いたが、肝臓をやられて敗血症になりかかったとき、入院する病院がなかなか見つからなかった。あれでどこも満員お断り、ということであったらどうなっていたのだろうか。
コロナの第9波が予想されているが、第5類になるということは、場合によって治療が受けられないということでもあるらしい。患者の調整をしないからそういうことになるということである。
何事もうまくいっている社会だと思っていたが、社会の仕組みが頼りないものになってきた。何事も自己責任というのは原始時代に戻るということではないか。
ここ何年か通っている歯科医院の若い勤務医が退職することになった。他の歯科医では、そこまでしつこく治療しないと思われることを丁寧にやってくれた。
正直困った。開業医はどうしても医療が商売になる。かえって若い勤務医の方が熱心で最新の知識と高度な技術を持っている。
また歯科医を探さなければならない。医療が運次第ということを、歯科医探しで実感するのである。 (了)
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