人間関係が上手いのではなく必要なのだ

つぶやき

 きのう5時過ぎに新聞を取りに表に出た時は冷たい風が吹いていた。夏は終わったとブログに書いたが、訂正しなければいけない暑さであった。

 秋場所が始まる。相撲には春、夏、秋場所と季節が入るが、土俵から季節を感じることはない。暑苦しい男たちの戦いであるからいつも夏のような気がする。

 一躍人気力士になった安青錦がインタビューに答えていたが、流暢な日本語に驚いた。日本人が使い方を知らないような言葉もさりげなく口にしている。来日して3年だそうだが、相撲部屋というところはそういうところなのであろう。

 娘と孫が特上のうな重を持ってきてくれた。敬老の日のプレゼントのようだ。
 食事を終えて家内と娘がゆっくりと話をしていた。そんな姿を見るのは娘が結婚して以来初めてのような気がする。

 いつもはラインでやり取りをしているようだが、高齢になった母親とたまにはじっくり話をするのもいいかもしれないということかと思ったら、夫が山登りの帰りに迎えに来るのを待っていたらしい。

 政治の話になってしまうが、自民党総裁選はどうやら5人の争いになるようだ。小泉進次郎氏も出馬の予定らしいが、彼の場合まだこの先政治生命は長い。今の若さで自ら政治生命を短くすることもないと思うが、どんなものなのか。

 ウィキペディアの「内閣総理大臣の一覧」で、古い時代のことはいいとして、佐藤栄作あたりから現代にたどっていくと、いろいろ問題のあった人や、何をやったのか分からないような人が総理大臣になっていることが多い。

 田中角栄が総理大臣になったのは54才のときだった。今太閤と国民から歓迎された田中総理であったが、その割には2年少しの短命総理であった。

 ロッキード事件により失脚したものと思っていたが、1974年(昭和49年)「文藝春秋」11月特別号に掲載された、「田中角栄研究〜その金脈と人脈」と題する立花隆氏のレポートによるものであった。

 ロッキード事件による田中角栄逮捕は、田中退陣後三木内閣のときに行われたものだった。あれほどの事件でも記憶とは不確かなものである。

 劇的な生涯のせいか、今でも田中角栄称賛の声が止まない。
 しかし田中角栄称賛というのは、学歴や政治的環境がものをいう政界や役人の世界で、そのいずれも持っていない田中角栄の、世渡り術の巧みさを指してのことである。

 金を惜しまなかったというが、反対派閥の議員の奥さんが亡くなった時、香典として2000万円の金を4回に分けて渡したというエピソードがある。
 あの時代1回の金が500万円。それを4回。金を惜しまなかったということではないような気がする。

 人間関係を作ることの天才とも言われる。金を貸しても決して恩に着せない。金を借りる人のプライドを決して傷つけない。「必要ないと思うが良かったら使ってくれ」という言い方をして渡したらしい。

 なにより人間関係で大切なことは、相手の自尊心をくすぐることだということに確信を持っている。
 相手の欠点を注意しても恨まれるだけである。嘘でもいいから相手の長所を言った方が何事もうまくいく。

 人を動かす。政治の世界や事業を行う人にとって、人を動かすということは最も大事なことになる。自分一人では何もできないからである。

 人を動かすために金を使い、金によって失脚した。「貸した金は忘れても借りた金は忘れない」ということは、ときに人の尊敬を得るが、やはり世の中、「借りた金は忘れても貸した金は忘れない」というものである。

 私は人を動かすことも自尊心をくすぐることも苦手である。人にカネを貸すこともなく、借りることもなかった。だから人生一人で動いてきて、大きな仕事をしたことはない。

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