このところこのブログに坂とか都はるみさんのことを書いてきたが、別に伏線にする気があってのことではない。
「この坂を 越えたなら しあわせが 待っている」という出だしで始まる歌がある。都はるみさんが歌った「夫婦坂」という歌であるが、この出だしの歌詞が結構気に入っているのである。
惚れた男のためならどんな苦労もいとわないという女性でも、あの坂を越えたら幸せになれると思う気持ちはよく分かる。
苦労した代償が欲しいということではないだろう。苦労したら代償が欲しいという女性は、苦労させられるような男に近寄らない。
人生には越えなければならない坂が往々にしてあるものだが、しかし越えなければならない人と越えなくてもいい人がいる。
できるものなら越えなくてもいい人生でありたいが、たいていの人は越えなければならないことになっている。
人生の物語は坂を越えなければならない人が主人公になる。
私も坂を越えなければならない人生を送ってきた。この坂を越えたらなんとかなる、と生きてきた。だからこの歌詞が気持ちに残るのかもしれない。
この歌について書くことはこれでお終いなのだが、この歌のことについて誤解していたことが分かったので少し書き続けることになった。私は歌謡曲の歌詞を熟読したことはない。
この坂を越えればしあわせが待っている、と言ったのは女性かと思っていたら男性であった。この歌詞の次に「そんな言葉を信じて越えた七坂 四十路坂」とある。40を過ぎてもこの女性は男の言葉を信じていたということである。
さらに思い込み違いは、坂を越えたことになっているものと思っていたら、越えていないのである。最後までふしあわせのままなのである。
1番から3番までの歌詞の中で唯一共通する言葉がある。「いいの いいのよ」である。最後までこの女性は幸せになれず、ただ我慢していただけ、ということになる。
生活もたった一間の部屋だったらしい。
歳をとったら「杖になってね、抱いてね、肩を貸して 背負ってね」ということだから、施設にも入れず、今でいう老々介護の生活をせざるを得ないような暮らしをしていたことになる。
人生、坂はあっても越えるものであってほしい。「この坂を 越えたなら しあわせが 待っている」いい言葉ではないか。みんなそう思って生きてきた。
こう言った男も女を騙すつもりはなかったであろう。なんとか坂を越えて女を幸せにしてやりたいと思っていたはずである。
坂を越えて幸せになったら歌謡曲にならないということであろうが、坂を越えても幸せにできない男の気持ちも哀れである。情けない男ということになる。こんな男のどこに惚れたというのか。惚れるところがあるとも思えない。
女性はワルな男に惚れて苦労させられても、それでもいいという。ワルな男はそれだけ女性にとっては魅力があるものらしい。
女性は弱い男にも惚れる。母性本能というものなのか。
では普通の男に惚れる女性とはどういう人なのであろうか。惚れていないのかもしれない。ただ結婚に憧れただけなのかもしれない。
いくら献身的な女性でも我慢しているのであれば限界というものがある。限界のない我慢はあり得ない。この女性もいずれこの男から去らなければ無駄な人生を送ることになる。
ところがここにも私の思い込み違いであった。この原稿を書くために何度が歌詞全部を読んでいるうちそのことに気が付いた。
この女性は我慢をしていないのである。代償も求めない。今のままでしあわせだと言っているのである。この女性はあり得ない女性ということになる。
歌謡曲はハッピーエンドでは歌にならない。女性が不幸を我慢しているということでは女性のけなげさがいま一つ表現できていない。貧しくてもどんなにつらくても幸せだという女性を主人公にしないとドラマにならない。
しかし貧しくても幸せだと言う女性はこの世の中に存在するはずはない。
金持ちになってしまった作詞家の周りにいる女性は、同伴を要求する整形したホステスさんばかりであろうから、作詞家はけなげな女性に対する願望が人一倍強いのかもしれない。
私流にこの歌を改編するとすれば、女性は男のもとから離れていく。男に見切りをつけて新しい生活を始める。当然幸せな生活を送ることになる。
別れた男のことは忘れようとしなくても忘れる。思い出すのは、あんな男になんで惚れたんだろう、というくらいのことだけである。
そして男は、この歌に言う坂を越えられず、幸せにすることもできずに別れていった女が、いつまでも自分のことを思い続けていると信じ込んで、女をひたすら懐かしがっている。
この改編版が正しい。現実はこんなものである。女はたくましく男は女々しい。
人生叙情編と題して、叙情なる雰囲気を書きたいと思ったが、しっかりした女性と甲斐性のない男の長い話になってしまった。男に甲斐性があったら人生は叙情にはならないのかもしれない。
老境の心境は、枯淡とか無我とか諦めとか言われるが、それはそれでいいことである。あまり元気な老人に魅力を感じない。
いろいろ思い違いはあったが、「この坂を 越えたなら しあわせが 待っている」。繰り返すが、いい言葉である。 (了)
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