人生は決断と後始末

つぶやき

 12月に入った。人生初めて78才の師走を迎えたことになる。
 
 来年2月には79才。来年になってもまだ70代。まだそんなに年寄りとは思っていない。

 この9のつく歳というのは結構人生の節目となる。
 来年は30、来年は40という歳に、思い起せばそれらしきことがあった。

 大きな節目と言えば、来年は40というときになるだろうか。決断しなければならない歳だった。

 このままでいいのか、なんとかしなければ。いい加減な人生を送ってきた者は、大体そのくらいの歳に決断しなければならない事態を迎えることになっている。ツケが回るということである。

 将来につながる決断だったか、そうではなかったか。人生の岐れ目となる。

 80を前にする歳に決断はあるのだろうか。もはや「決断の歳」ではない、決断を重ねてきた人生の成果に、ゆったりと身をゆだねる歳である、ということにでもなっていれば申し分ない。

 いつものように暗い話になる。
 高齢者の街であるから、我が家の前を歩いていた人を見かけなくなるのはしょっちゅうである。

 見かけなくなる、ということは亡くなったということであるから、しょっちゅうという言葉を使うのはあまり適切ではない。

 しかしこうも見かけていた人がどんどん亡くなっていくと、哀悼とか感慨とかお気の毒にとかいうことではなく、なにか当たり前のことのような気になってくる。

 しかし先日亡くなった人には特別な印象がある。駅前の自転車置き場の管理のパートをしていたらしく、毎日我が家の前を通っていた。

 近所のマンションに住んでいるということは知っているが、歳も名前も知らない。歳は私より少し上かかなり上か、という感じ。

 仕事が終わったあととか、仕事に行かないときはいつも住まいのマンションの道路付近にいて、道端の縁石などに座ったり立ったりして道行く人や車を眺めていた。

 私たちが車で出かけるときはいつも私たちと目が合い、通り過ぎれば振り返って我が車を目で追っていた姿をバックミラーになんども見た。

 つい先日も行き交った。その人を突然見かけなくなった。突然の死だったそうだ。挨拶したことも話をしたこともない人の死が心に残る。

 79歳に決断はないが決断の後始末がある。
 残りの人生、決断の後始末をする人もいれば、突然人生を遮断してしまう人もいる。

 来年は80の坂の一歩手前に佇むことになる。どういうことになるのだろうか。

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