世 事 諦 感

つぶやき

 諦観とは全体を見通して事の本質を見きわめること、ということであることを先日知った。そのため諦観ではなく諦感とした。

 念のため辞書で調べてみたらそういう言葉はない。近い言葉に諦念というのがあったが、諦観と同じ仏教用語らしく、諦める気持ち、という意味もあるが、道理を悟る心、ということが本体の意味らしい。

 ここに書きたい私の気持ちと違う。悟る心など持ち合わせていない。辞書に載っていない言葉を使うことが少し気になるが、ここでは諦感とすることにした。

 昨年の今日は喉頭がんの手術のため入院した日である。手術は翌8日に行った。
 あれから1年。今日は1年検診である。
 1週間前のPET-CTの結果と共に、また大勢の研修生に囲まれて見学の対象の中での検診である。今のところ再発・転移の兆候はない。とりあえずありがたい。

 家内の絵の友だちが今日乳がんの手術をする。私が入院した時いろいろ家内を気遣ってくれた人である。
 諦感と書いたブログに書くことではないと気がついたが、この人も私も病気について諦めることは何もない。あきらめるのは日本の政治の現状である。
 手術が終わって元気な姿で会えることを祈るのではなく待っていることを、できたら伝えたい。

 高須クリニックの院長という人が、膀胱がんの手術をしたという報道があった。
 この人に関してはどこかの県知事のリコールか何かで目にしたことがある。あまりいい印象を持てる人ではないように見えるが、全身がんに侵されているという。全身がんというと樹木希林さんを思い出す。

 この院長の奥さんは西原理恵子さんということを知った。私が購読する新聞に以前漫画を連載していた人である。
 実に汚い絵で、内容も品のいいものではない。それを売り物にしているようだ。

 去年テレビで西原さんが、名門と言われる女子大の学生を前に講演したのを見た。
 実に卑猥で下品な表現で聞くに堪えなかった。
 彼女にすれば、「あんたたちのように何事も綺麗、上品、セレブ、などで世の中わたっていけるものじゃないわよ」、ということでも言いたかったのであろう。
 彼女の名前表記も間違っているかもしれない。ネットでも見れば経歴を含めすぐに分かることだろうが、そこまでする必要のある人ではない。私はこの人が我慢ならないほど嫌いである。

 トランプがいくつもの罪状で起訴されたという報道を見た。
 ポルノ女優に支払ったもみ消しのお金がどうのこうのと、これがアメリカの大統領のすることであろうか。アメリカは終わってしまったのだろうか。
 どうも息子のブッシュ大統領以来、アメリカの凋落も止まらないように見える。バイデンさんも年寄りだ。果たしてもつのだろうか。

 ロシアは本当に国の存亡に関わるような圧力をアメリカやNATOから受けているのであろうか。この辺の知識が私にはないからどうにも書きようがない。
 ウクライナの人々の生命を奪い、生存を脅かすことが許されるような正当性があるというのだろうか。
 戦争はどちらにも正当性があるはずはないが、ウクライナ侵略は1年経っても終わらない。終わらしてしまってはプーチンの立場がなくなる、ということのような気もする。

 先日亡くなられた流通業界のトップ経営者の言葉に、「日本がダメなものは政治である」、というのがある。
 ダメな政治はいたる所にあるが、田中真紀子氏をご主人と共に思い出した。
 この人たちは政治家だったのだろうか。日本の政治のあり様の典型を見る気がする。
 親が威勢の良かったときは親の威を借り、親が亡くなれば政治を生活の糧にしただけのことではないか。こんなみっともない夫婦を見たことがない。

 日本の政治には責任の所在がない。お役所もそうである。責任を取るような仕事をすると多分叱責されるのであろう。
 「責任は誰でも取れる。責任を取らないで済むようにすることが本当に優秀な公務員の仕事である」、というようなことが公務員心得には書かれているのではないだろうか。

 責任を取るということはどういうことだろうか。昔は切腹であった。今は辞任ということになるのか。
 生徒のいじめによる自殺とか登校拒否などが生じた場合、教育委員会や当該学校の対応のいい加減さがよく新聞に報道される。

 自殺してしまった生徒にどう責任を取れというのか。登校拒否するのは生徒の勝手、学校のせいではない、というのが言い分のような気がするのだ。
 
 今日の検診は午後からである。なんとなく気がせく中でブログを書いている。世事諦感はあらためてゆっくり書いてみたい。(了)

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