不倫にも場数が必要である

つぶやき

 ジャニーズ事務所のことについてこのブログで触れるのはもうやめようと思っていたが、2回目の記者会見での井ノ原快彦とかいう出席者の発言がいろいろ話題になっていて、私も少し考えるところがあるので、本当にこれが最後と自分に言い聞かせてまた書くことにした。

 ネット上では「人間性が素晴らしい」「言動や行動に説得力がある」「彼の話には泣けた」などの声が寄せられているようだ。
私はこの会見見ていないが、夜のニュースで次のような彼の発言を聞いた。

 「ちょっと一言いいですか。やはりあの、こういう会見の場は全国に生放送で伝わっておりまして、小さな子供たち、自分にも子供がいます。ジャニーズJrの子たちもいますし、それこそ被害者の皆さんが自分たちのことでこんなに揉めているのかっていうのは僕は見せたくないので、できる限りルールを守りながら、ルールを守っていく大人たちの姿をこの会見では見せていきたいって僕は思っていますので、どうか、どうか落ち着いて、お願いします」。ヤフーニュースの転載である。

 私がテレビニュースで聞いた内容とほとんど一致している。この発言は記者会見における質問者の順番とか質問者指名の不明確さなどで紛糾した時、彼が会見の進行とは関係なくいわば勝手に発言したものである。
 会場では、の発言を称賛するかのような拍手も起きたと報じられていた

 井ノ原快彦という人はよくテレビで見ることがあるが、名前は知らなかった。私はこの発言を聞いてなにより知りたかったのは、この人の年齢であった。若い人のように見えたからである。30歳前後であれば若さゆえの発言と聞き流すのだが、47歳であった。47歳といえば立派な大人である。しかし大人の発言をしていない。

井 ノ原快彦と言う人の発言は大変失礼であるが、中学生のホームルームのレベルである。大人としての訓練を受けていないものと思われる。人相もよく人当りもいいし、朴訥に喋るから「人間性が素晴らしい」ということになる。

 会見後2、3日経ってから、今度は井ノ原の発言に対して論点すり替え「何か違和感があるといった評価がされるようになった。
 論点すり替えと言うのは、ある大学教授の指摘らしいが、そんな立派人が指摘するほどのことではない。
 井ノ原快彦の頭の中には、論点のすり替えなどという知識はなかったはずである。自分の発言で論点をすり替えようなどといインテリジェンス持っているような人には見えないからである。

 私がこの発言に関心を持つのは「すり替え」でもなく「違和感」でもない。
 この発言ある無自覚な言葉使いが、社会生活の様々な場面において大きな障害になっていることを実感してきたからである。
彼の発言は
記者会見における記者たちと運営者間に生じた混乱を収めるためにされたものである。「小さな子供たちがいます。揉めたくないのです。ルールを守って落ち着いてください」
 この発言は誰でもしたくなるものであるが、してはならない発言である。

なぜしてはならない発言なのか。
簡単にってまえば問題を起こしたのはどっちだ。判ったような口を叩くなということである。
 このように発言すれば混乱が収まるものと思っていた。いや、混乱が収まるものと思って発言したのではなく、あの場ではあのような言葉を口にするものだと思っていた。それが幼稚であることを彼は全く気がついていない。

 この発言はこの社会のどこにでも、いつでもあることである。
残念なことは
このような発言の不当さをいくら指摘しても、この発言によって会議なり話し合いなり、井戸端会議まで、結論が出たということになってしまうことである。
 日本人はこの発言を気持ちに持っている民族である。民族とは大げさであるが、そうとしか言いようがない。これでは会議ができるわけはない。

 「会して議せず、議して決せず、決して行わず、行ってその責をとらず」
 古くから言われている言葉であるが改定されたという話は聞かない。

 話は少し変わるが、危機管理会社というものがあるとは知らなかった。
 ジャニーズ事務所の記者会見でのNGリストから一躍脚光を浴びることになった。
バレてしまえばしょうがないが、
発言されては都合の悪い記者封じることは危機管理会社としては至極当然のことである。
最後まで知らぬ存ぜぬを通せなかっ
ということはこの会社がまだ素人であるということを露呈したということである。

 不祥事を起こした場合の謝罪の仕方というものは1つしかない。何の弁解もせず、ただひたすら謝ることである。
 しかし不祥事にも再生可能なものと不可能なものがあるらしい。ジャニー喜多川の性加害は再生不可能なものであるが、残った会社を再生可能なものにするの、あの記者会見を請け負った危機管理会社の任務である。

 あの記者会見はジャニーズ事務所が設定したとはいえ、あくまで糾弾される場である。そのことを認識しないで、井ノ原快彦の発言にしても他の経営者の発言や態度に他人事のようでひたすら謝罪するという姿勢が見えない。
自分は悪くないのに
潔く謝るという姿勢が日本人は好きなのである。

 不倫がバレた男は何人もいるが、まだ若い30くらいの俳優と、今は60を過ぎたようなジャーナリストの不倫のその後が180度違う。
さすが年配のジャーナリストは不倫に慣れているようで、最低男と世間の非難を受け
ながら、知的なモテ男として再生した。ひたすら、悪いのは自分であると徹底して女性をかばい謝罪したらしい。
 片や若い俳優はいまだに元の人気を回復できない。
再生した男は世間をなめた不潔な顔をしている。再生できない若い男はまともな顔をしている。
何ごとも場数を踏むことは大事なことである。 (了)

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