私の知り合いに、ある幇間の息子がいる。
揶揄して幇間の息子と言っているのではない。父親は本物の幇間である。
それも正月には首相官邸で座敷芸を披露するほどの名のある幇間である。すでに亡くなっているが、彼を最後に座敷芸は途絶えたと言われている。
その幇間の息子は、父親の芸を継がなかったが(本妻の子が継いだかどうかは知らない)、10代のころから落語家を目指していたらしい。
しかし結局師匠に認められることもなく、40を前に亡くなったという話を人づてに聞いた。
その彼から聞いたことである。芸人のいわば卵というような若者の行動が結構ひどいものらしい。
どうひどいか。要はメチャクチャなことをやるのが芸人には必要だと思っている、ということである。酒も女も博打もである。
古くから「芸の肥やし」という言葉がある。これは今でも生きているらしい。悪さも含めていろんなことをやって芸の足しにする、と言うことである。
本当に芸の肥やしになるのか、単なる遊びなのか、はた目には判らない。
ときどきあんな美人であんなに人気のある女優さん(モデル、タレントの場合もある)が、なんであんな売れてもいない芸人と結婚するのか、ということがある。これは若い芸人たちの賭けの結果だという。詳述するほどのことでもない。
最近の漫才芸人に意外に思う人相の人がいる。こう言っては失礼だがあまりよくない人相である。そのままワルの世界でも通用するのではないか思う人を見かけるのである。
下積み時代のメチャクチャな生活が残っているのかもしれない。しかし念のため言うが、芸人がみんなメチャクチャだというつもりはない。そういうこともある世界だろうなということである。
こんなことを書いてきたのは最近のテレビはなんでもかんでもポジ、ポジということになっているが、こんな芸人たちの悪ふざけをポジとしているのではないか、ということ言いたいがためである。
ポジと悪ふざけの区別ができていないのではなく、区別しないのが今のテレビである。テレビに限ったことではなく、社会全部がポジと言うことに蔽われている。
ネガよりポジの方がいい、ということに何もいちゃもんをつける気はない。
しかしポジは物事を解決するための思考ではなく、考える方向を変えることである。したがってそれは無責任ということにもなる。
自分の気持ちを前向きに変えるためポジになることは別に無責任ではないが、ポジを思考のコントロールに使うと無責任ということになる。
秀吉は戦いの前には兵に酒を飲ませ、どんちゃん騒ぎをしたという。
日露戦争の大山巌は突撃を前にして「今日は何の日だ」と、とぼけたことを口にした。それで兵隊たちは訳もなく元気づけられて、秀吉を勝利者にし、大山巌に勲章をもたらして死んでいった。
今の社会でもポジをこのように利用してはいないか、と思うのである。
必要なのはポジではなくクールだと思う。なんでもかんでもワッショイ・ワッショイで賑やかであればいいというものではない。
“Let’s everybody keep cool. 「みんな落ち着いて行こう」
言うまでもなくアポロ13号の管制官ジーン・クランツの言葉である。
もしあのシーンで「みんなポジで行こう」と言ったとすれば何も進まないし、何も解決しない。彼の言葉には続きがある。
Let’s solve the problem, but let’s not make it any worse by guessing.”
「そして問題を解決しよう。でも当て推量で事態を更に悪化させるのは止めよう」
最初の言葉がポジであったらこの言葉は存在しえないことになる。当時ジーン・クランツは36歳であったという。
芸人が言うことだから大したことを言っているはずはない。芸人が語ることだから本当かどうか判らない。だけど明るく面白ければそれでいいじゃないか、別に本当のことが分かったところで大したことではない、というのが今の社会である。
芸人の悪ふざけをポジだと言っているうちに訳の分からない社会になってしまった。
ポジではなくクールであることがクールだと思うのだが。(了)
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