こういう裁判が最高裁で扱われるとは、なんとも実に隔世の感がある、と言っては時代遅れということを自ら述べることになる。
心と体の性別が一致しないトランスジェンダーが職場のトイレ使用の際、制限を設けるのは「違法」である、と最高裁判所は11日判断をした。
最高裁が性的少数者の職場環境に関して判断を示すのは初めてらしい。提訴から8年目だそうである。LGBT問題が現在論議されているが、それより少し前のことである。
しかしトランスジェンダーのトイレ使用についてはいろいろ問題がある。簡単なことではない。裁判をもってしても解決できないことである。だからトランスジェンダーのトイレ使用について制限を設けたということであろう。
その制限が最高裁の判決で否定された。まさかそんなはずはない、と考えるのが知識のない庶民の普通の感想である。
その制限はどういうもので、どうしてその制限を違法と判断したのか。制限が違法ということならトランスジェンダーはどこのトイレも自由に使えるということなのか。
今回の最高裁判決を鵜呑みにすることはできない。考えを進めるため必要な事実関係を追うことにした。
原告は経済産業省に勤める50代の男性職員である。入省後に性同一性障害と診断された。ホルモン投与を続け、女性として生活するが、健康上の理由から性別適合手術は受けていない。
男性は2009年に女性としての勤務を申し出る。経産省は翌2010年、職員への説明会を経て、原告が女性の身なりで働くことを容認し、しかし女子トイレの使用については職場から2階以上離れたフロアのトイレを使うよう制限して原告の申し出を認めた。
「他の女性職員への配慮」がその理由とされている。異動後も使う際は異動先でのカミングアウトを条件に求められたという。
男性は2013年に人事院にトイレ使用制限の撤廃など職場の処遇改善を求めたが認められず、2015年11月に訴を起こす。
1審は2019年、トイレの使用制限を違法と認定する。理由を簡単にすれば「自認する性に即した生活を送ることは重要な法的利益で制限することは不当である」
2審は2021年、トイレの使用制限を1審とは反対に適法とする。理由は「自認する性に即した生活を送ることは重要な法的利益であるが、経産省の全職員にとっての適切な職場環境を考えると制限は違法ではない」
最高裁の違法判決の理由は、「原告は日常的に相応の不利益を受けている。女性用トイレを自由に使うことでトラブルが生じることは想定しがたく、特段の配慮をすべき職員もいない。不利益を甘受させるだけの具体的事情は見当たらない」
つまり、問題が生じていないのだから制限をすることは不当だ、と言うことになる。どうも最高裁らしい論理がない。
最高裁の判決は一般的事例に対する判断をしたわけではない。経産省の特定の階にある、特定のトイレの使用制限について個別事情を踏まえ判断しただけのことである。
この判決によってトランスジェンダーのトイレ使用問題が解決されたということではない。何も解決されていないと言うのが正しい。
裁判官5人全員が補足意見を付けたという。それは「こんな問題を法廷に持ち込まれては困る。社会全体がこの問題についての議論をするべきだ」というこ言っているようだある。法律に社会をリードする力はない。
「性同一性障害の人と、わいせつ目的の侵入者を見分ける基準はあるのか。女性スペースにおける安全・安心は重要だ」という問題は解決できる問題ではない。これからもこの不安は消えることなく存在する。
糾弾すべきは「性別を偽る犯罪者」でトランスジェンダーの当事者ではない。その通りであるがその見極めが難しい。トランスジェンダーのトイレ問題は個人の問題であるが個人の問題としては解決できないことが問題である。
裁判の提起は誰でもできるが、どんな場合でもできるというものではない。
問題が自分の問題でなければならず、裁判によってその問題が解決されるものでなければならない。
例えば、あの学校の校則は生徒たちにとって極めて不当なものであるから、その廃止を求めて近所のおじさんが裁判を起こしたいと思ってもできない。
どんなに義憤にかられて正義のためだと言っても駄目である。なぜか自分の問題ではないからである。
原告の男性は、庁舎内の女性用トイレの使用を制限されているのは不当だとして、国に約1700万円の損害賠償を求めるとともに、健康上の理由で性別適合手術を受けていない原告に対し、「手術を受けないなら男に戻ってはどうか」と発言した上司に対しても損害賠償を求めている。
これについて第2審は国に11万円の賠償を命じたらしい。上司も下手にアドバイスはできない。気をつけて口をきかないと面倒なことになる。
ブログを書いている朝の時間帯にクラシックの放送がある。今日は9時過ぎからチャイコフスキーの4番のシンフォニーであった。
放送を聞きながら原稿の校正をした。実に悠然とした大らかで晴れやかなチャイコフスキー。豊饒な響きと思ったらオーマンディーのフィラデルフィアの演奏。
世界で一番友達の多い指揮者はだーれだ。ユージン・オーマンディー。
世界で一番恥ずかしがり屋の指揮者はだーれだ。リッカルド・シャイー。
世界でいつも安売りをする指揮者はだーれだ。ジョージ・セール
兄との他愛もないやりとりが懐かしい。(了)
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