テレビはひな壇芸人でもっている

つぶやき

 「古い奴だとお思いでしょうが、古い奴こそ新しいものを欲しがるもんでございます…」 
 鶴田浩二「傷だらけの人生」作詞は藤田まさと。

 この詞は嘘だと思う。古い奴は新しいものを欲しがらないのである。なぜかといえば、何が新しいものか分からないからである。 

 この歌詞は単に格好づけただけ。一見それらしいことを言いながら、中身は取ってつけた事ばかり。歌謡曲を廃墟にしてしまった張本人の1曲でもある。

 鶴田浩二のことではない。「大した芸もないのに、なんでこんな芸人が長くテレビに出ているのか」という事を、テレビを見るたび思う。
 
 間違った指摘とは思わない。テレビの現状には目を覆いたくなるような芸人が氾濫している。

 「大した芸もないのに」、「大した知識もないのに」というのは、ここ何年ものテレビ出演者に対する批判の決まり文句である。

 という事は、テレビに出るということは 「大した芸」や「大した知識」を持っている者であるべきだ、という考えがあることになる。

 ところが現実は、「大した芸」も「大した知識」ない芸人やコメンテーターをテレビは好んで出演させる時代になっている。もう「大した芸」など要らないのだ。

 それが古い人間には分からない。

 二日ほど前に、「利口そうに見えないことが大事」というブログを掲載したが、その翌日の深夜に、「お笑い養成所生の本音 講師になってほしい! ひな壇芸人のランキング」という番組があった。

 出演者がしゃべっていることが宇宙語でも聞くようにチンプンカンプンであったが、「利口そうに見えないことが大事」ということに関連しているように思えたので見てしまった。

 それに、ひな檀芸人というものが、今テレビで重要な芸人であることを知った。

 何がなんだか分からないまま、ランキングなるものの1位は、FUJIWARAの藤本敏史という名が出る。

 選考理由は、「どんな展開になっても最終的に『負ける』ことができるので最強だと思います」

 この意味が全く分からない。もう知識の問題ではないと思う。根本的に人の意識が変わっているのだ。

 私の知らないことでテレビは回っている。「大した芸もないのに」というのは芸人を批判する根拠にならなくなった。

 大した芸もないのにテレビに出るのはおかしくないことが、古い人間にはどうしても分らない。

 時代の変化を理解しようというのは無理なような気がする。理解しようとすることがもうダメなのだ。

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