週刊文春の「タンマ君」が終了。
東海林さだおさんは87歳になられる。何年か前にがんを発症されていたが、元気な姿が報じられていた。うれしいことである。
「ショージ君の青春記」。漫画家を志すもなかなか思うような絵が描けず、悶々と日々を過ごすある日、結婚した友人宅を訪ねた際に見た玄関先の配達牛乳に、「彼は不確かな漫画というものを、牛乳という確かな生活に置き換えている」と、自らの努力不足を思う。
私の好きな話であるから以前も掲載しているはずである。
「タンマ君」だったと思うが、「スマイルバッチ」が流行ったころ、「妻いるバッチ」をオチとする作品があった。詳細は忘れたが、最高傑作ではなかったかと思う。
東海林さんの漫画は駄洒落。自動洗濯機を児童洗濯機という程度。長谷川町子さんのひとひねりあるような漫画とは違う。でもそれでいいと思う。東海林さんは最初から「自分にできることしかしない」と言っている。
東海林さんのエッセイには、西荻窪の「真砂」という料理屋と、そのご亭主のことがなんどか登場する。
東海林さんはサラリーマンの悲哀を描く漫画家であったが、サラリーマンの経験がないため、西荻窪に部屋を借り、そこを勤務先 (仕事部屋)として、サラリーマンのように立川の自宅から通っていた。
サラリーマンのようにといっても、締め切りに追われる作家業。そう簡単なことではない。そんな東海林さんが仕事を終えて愛した店が真砂である。東海林ファンの聖地と言われる。
ローストビーフの話がとてもいい。
東海林さんと真砂のご亭主の交流はほのぼのとして、うらやましさを感じるほどである。
一度訪ねたことがあるが、残念なことに休業日であった。
真砂はだいぶ前に店を閉めたようだ。
早稲田漫研は東海林さんしかいなくなってしまったのだろうか。
中学1年生の頃、早稲田祭の漫研の出店で似顔絵を描いてもらったことがある。
あの出店には、東海林さんも園山俊二も福地泡介もいたはずである。
早稲田に入っての漫画家人生だが、東海林さんは早稲田を卒業していない。
でもいい学生時代を過ごされたと思う。



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