学生の頃から吸い始めてきたから、50年以上もたばこを吸ってきたことにになる。喉頭がん発症の原因として申し分のないキャリアである。
たばこは当たり前の嗜好品であった。今でこそたばこの害は大きく取り上げられるが、大人になったら吸うものであった。
「動くアクセサリー」などのコピーが新聞などに載り、長い指にたばこを挟んで微笑む女優のポスターなどには、健康に関する配慮など微塵もなかった。
最近では「人間にたばこは不要だが、人生には必要だ」などというコピーを目にする。
コピーライターなどというものは、金にさえなれば戦争賛歌もする連中である。
昔の映画を見るとやたらと登場人物がたばこを吸っている。画面がたばこの煙で白くなっている。
最近刑事コロンボが再放送されているが、葉巻をくわえたまま絨毯の敷き詰められた犯人の家を歩き回っている。
何十年か前の放送時とは違い、あの古びたコートとともに汚さを感じる。
たばこを止めたのはほんの5年ほど前。コンビニでの成人認証が不愉快で、そのために止めることにした。
健康のためとか家人のため、ということもあったが、なによりあの認証の不合理さに対する怒りである。
タッチするなら要りません、というと店の人がタッチする。何のための認証なのか。
「体にいいものはうまくない」「好きなものを断ってまでして生きていてもしょうがない」などといい加減なことを言って、体に気をつける習慣を身に着けなかった。
今頃になって若い人にたばこの害を説いても全く聞く耳を持ってくれない。
「病気になってからでは遅いんだよ」。自分もさんざん聞かされた言葉だ。そう、人生はみんな遅いのだ。遅くならなければ気がつかない。
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