2つの気懸りがあったが、ひとつは当事者の活躍によって解消した。相撲の尊富士のことである。
優勝を目前にしての怪我で休場と思われたが、痛みに堪えて優勝した。
いい相撲を取っていた。千秋楽の伊勢ケ浜親方と三瓶アナウンサーのやり取りがなかなかいい。舞の海ではこうはいかなかった。
「相撲は好きではない」と尊富士は言っている。そうかもしれない。
以前オリンピックで金メダルを取った柔道の選手が、柔道に残ることなくすぐに格闘技の世界に転出した。尊富士はその選手によく似ている。
「記録より記憶に残る」ということを言っていたが、記録に残った方がいい。記憶に残ってもすぐに忘れられてしまう。
もう一つの気懸りは大谷選手である。野球ができなくなるような事態はなんとしてもあってはならない。
メディアは連日不安をあおる報道をしている。アメリカのライセンスを持つという弁護士たちが、さも専門家のように言いたいこと言っている。
気の利いたことの一つでも話さないと格好がつかないということであろうが、大谷の今までの活躍を見れば、彼がギャンブルなどにどんな形でも関わっているはずがない。
木村太郎などという評論家は、ウクライナ侵攻において、「6ヵ月でロシアは敗退する」と言った人である。
そんないい加減なことを言う人が今度は、「アメリカの調査機関が乗り出したということは簡単に解決する問題ではない」と、大谷の関与があるかのような発言をする。
この人はあおり屋なのだろう。年寄りが自己顕示欲に駆られるという話はよく聞く。晩年の森繁さんがそうだった。
木村さんが、すでに思考能力が退化している人であることは田原総一郎と同じである。分かっていないのではなく、何も知らないのである。
歳をとって情報収集能力、処理能力、理解能力が著しく低下し、過去の知識のみで現在を語っているのである。
こんな人たちの話を真にうけてはいけない。二人とも早々にメディアから姿を消してほしい。
大谷選手を信じて、黙って事の成り行きを見守るのが日本人として取るべき態度である。憶測による発言はするべきではない。
アメリカ50州のうち38州で賭博を合法としている。賭博も一つの嗜好と見れば、違法とする根拠は薄い。
賭博罪の保護法益を「社会」とすると、賭博は犯罪になるようだ。しかしその場合、賭博によって社会はどんな被害を受けるというのか。
アメリカ社会は賭博を合法とする州がなぜ多いのか。州の収益ということであろう。
日本においてもカジノを認めようとしている。賭博の上前を撥ねるということである。金になればなんでもするというのはどこでも同じである。
水原とかいう通訳のことを書いてもしょうがないことであるが、まさに獅子身中の虫。
人を信じてはいけない。必要以上に仲良くしてはいけない。人を見たら泥棒と思え。
昔から言われていたことを思い出させるような人物であった。そうであった。人を信じてはいけないのである。
水原はどうも最初から何かあるような顔をしていた、と言う大学教授がいた。私もそう思う。素朴そうでウラがありそうな顔だった。ウラがあるから素朴そうな顔になったのかもしれない。
二階元幹事長が次回の衆院選不出馬を表明した。なにを言っているのか。逃げ得ではないか。85歳にもなって選挙不出馬。当たり前のことを言っているだけである。
おとなしく上司の沙汰を待つ身である。自分からけじめをつけたと言っているが、自分でけじめをつける立場ではない。
日本の社会がよくなるはずはないことを確信させる政治家であった。
ストレスのない生活をしているが、政治家が唯一のストレスである。
気懸りなことが2つあるとして書き始めたが、政治家のことを考えるとストレスだらけになる。政治家ではなく政治屋であった。(了)
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