コロッケのショーはひどい

つぶやき

 コロッケ、と書いたが食べ物のコロッケではなく、ものまね芸人のコロッケのことである。

 コロッケのことを書こうと思ったのは、いままで芸人に数万円のお金をつかったのはコロッケだけであったことと、その金を返してもらいたいと思うほど、不愉快な思いをしたからである。

 今から20数年前、娘が学生時代の同級生と結婚して間もなく、婿さんが青年海外協力隊でアフリカのザンビアに行くことになった。

 行くことのになったのは行く必要があったわけではなく、自分が行きたかったから行くことになったというだけのことで、誰に求められたわけでもない。

 要は、新婚の妻を残してアフリカに行きたかった、ということである。それも2年間である。それをいまさら言っても仕方のないことで、婿さんに酷になるだろう。

 ザンビアの女子高校で数学を教えるために派遣されたのである。素晴らしく、立派なことである。

 赴任してから送られてきた写真を見たが、真っ黒な顔をした、婿さんより体格のいい大勢の女子生徒を前に、白い空手着を着た婿さんが空手の演武をしている。

 彼は空手などしただろうか、と不思議に思ったが、日本文化の紹介として、一夜漬けの空手を披露したらしい。

 こんなことで日本の文化なるものが、黒い顔をした生徒たちに伝わるのかと思ったが、婿さんの真剣な顔を見ると、ま、やらないよりはやった方がいいのだろうと思った。

 ボヘミアンなのである。しかし娘はアフリカ行きを認めたのであるから、私がとやかく言うことではない。

 夫婦で話し合って納得した上のことなのであるから、私が口を出してはいけない。しかし親としてはそう割り切ることに少々時間がかかった。

 そんなことを言うためにこの稿を書き始めたわけではないが、娘のために少しは愚痴を言ったっていいではないかと思う。

 ある日、立川のホテルで妻と食事をしていた時、コロッケのディナーショーが暮れに行われることを知った。

 夫が帰るまでの2年間を、少しでも気を紛らわして短いものにしてあげたいと、チケットを3枚購入した。この時数万円をつかったのである。

 ショーを見るまで、私はコロッケのファンではないが、なかなか面白い芸人だと思っていた。

 娘はそのころのコロッケの芸風がどんなものか知っていたようで、ディナーショーの切符を買ったと言っても思ったようには喜ばなかった。私が期待するようなうれしさも驚きも示さなかった。

 ディナーショーというのは、食事をしながら観たり聞いたりするものであると思っていたが、最近では、というよりだいぶ前から食事を先にする。

 食事をしながらでは、どこかの温泉ホテルの、忘れられた歌手の歌謡ショーのようで、出演者に失礼だということなのか、食事はボーイさんたちの実に手際のいい動きで、味わう間もなくあっという間に終わる。

 客は場内アナウンスの「コロッケさんをお出迎えください」という言葉に思わず襟を正し、エンターテイナーの出場を待つことになる。客よりコロッケの方が偉いという感じである。

 ショーが始まったが面白くもなんともない。ものまねも一瞬芸のように歌手や芸人の真似がコロコロ入れ替わり、見てて白けてしまうような有様である。

 後半は歌謡ショーになってしまった。お目当てのものまねは全く面白くもなく、それにコロッケの聞きたくもない歌まで聞かされて、さんざんのディナーショーであった。
 金を返してくれと叫びたいほどであった。こんなショーは観るものではない。

 ショーが終わり客席から花束などを抱えて舞台袖による人が何人かいたが、コロッケは「今日は現金が少ないわね」などと舞台から言っている。おひねりなどが舞台に投げ込まれるのであろうが、その催促のようであった。
 聞きたくない歌を聞かされて、さらに聞き苦しい汚い言葉まで聞いてさんざんであった。

 コロッケは終演後、お客さんと握手をするためか、お礼を言うためか舞台から降りてきた。客は拍手と握手ぜめである。私の前にも来たので握手せざるを得なかった。後で、軽薄な人間だなと自分を思った。

 コロッケは、笑顔を振りまき、握手しながらお客さんに対してこう言った。「握手よりお金の方がいいわ」、とまたお金のことを言う。
 芸人のジョークと思いたいがどうも本気らしい。美川健一もよく言った。美川憲一かもしれない。

 実につまらないショーであった。こんな芸人だったのか。こんな芸に数万円を払ったのか。もったいないことをしてしまった、としつこく後悔した。

 帰り道妻や娘と、「楽しかったね」、という言葉を交わした記憶はもちろんない。
 無駄な金を使ってしまった、と私が憤慨しているだろうと推測してか、触らぬ神にたたりなしで、二人とも何も言わずにいた。その方が面倒がなくていい、という妻と娘の生活の知恵である。

 芸人とはそんなものなのか。寄席芸人というものは貧しかったらしいが冗談でも、金をくれ、と言うようなことを口にするような人達ではなかったはずである。テレビ芸人というのは金に目がくらんで、人として大事なものを失っている。

 私は間違っていたと思った。夫の帰りを待つ娘の気持ちを、コロッケなどのショーなどで紛らわすことができると思ったことを。
 婿さんはコロッケ違って品があり、ハンサムであることを忘れていた。コロッケなどのショーなどは見るものではない。(了)

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