子供の頃住んでいた東京の下町錦糸町が、以前テレビで特集番組のように放送されたことがある。もちろん昔とは大きく違って、今や墨東地区の商業・娯楽・飲食の中心的な町になっている。
駅前にある江東楽天地という映画館街は今でもあるらしい。この町は映画とキャバレーと青線の町であった。
何年か前、近所と言っても我が家から電車で一駅は乗るが、その町のおせんべい屋さんに寄ったら、どういう成り行きか、そこの女将さんとキャバレーグランド大興の話になった。
このキャバレーは中川沿いにあって、錦糸町キャバレーの代表的な店である。
私が知っているのは、子供の頃、その店の前を通って風呂屋に行っていたというだけのこと。
この女将さんがやけにくわしい。年の頃60過ぎ。このキャバレーのホステスだったのではないかと思う。
若い頃、店でご亭主と知り合って、キャバレーのホステスから小商いの女房になるという話はよく耳にする。
別に懐かしいわけではないが、このキャバレーのことがネットにないかと調べたら、見出しには見当たらない。いちいち内容を開くのも面倒なのでやめようと思ったら、「幻のグランドキャバレー」という見出しが目に留まった。
むかし駅前の楽天地の中にあったキャバレーのことである。店名を「ザ・グランド・フォンテン」という。
洲崎で遊んだ経験者世代は既に引退してしまった人が多いが、このキャバレーの話になると急に目が輝きだし、話し出すと止まらないという人に何人も遭ったと、この記事を書いた人が記している。当時このあたりの人で、このキャバレーに行ったことのない人はいない、というくらいの大変な店であったらしい。
実はこの店に行ったことがある。結婚して間もないころだと思うが、義父が義兄と一緒に私を誘ったのである。
義兄は学校の先生でコチコチの堅物、キャバレーなど行くような人ではないが父親の誘い、私に気を遣ってくれたようだ。
義父はどうやらこのキャバレーの常連さんであったらしい。堅物の息子と、娘と結婚して間もない婿さんをキャバレーに誘うというのもなんだが、戦争から命からがら帰ってきて、昼間は町工場で懸命に働き、夜はキャバレーで遊べる時代の違いに、生きていることを実感していたのかもしれない。
このキャバレーの断然NO.1ホステスが、あの「デヴィ夫人」だったという話がある。とにかく本当にきれいで、何百人いるホステスの中で彼女を知らないという客はひとりもいないというくらいの人気であったらしい。
あくまで深川界隈の旦那衆の証言にすぎないということだが、「幻のグランドキャバレー」 真実かもしれないし、そうでないかもしれない。
母はどんなに苦しくても水商売にはならなかった、ということをよく自慢気に話していた。そういう町であったからそういう女性をよく見かけたのであろう。
錦糸町も変わった。若い女性がジェラートなどを食べながら歩いているのを見ると、錦糸町もシャレた町になったなと思うが、私が子供のころ錦糸町が不健康な町であったという思い出はない。町というのは、清も濁も健康も不健康も併せ持っているものである。
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