さよならだけが人生だ

つぶやき

「さよならだけが人生だ」という言葉がある。誰かの言葉であったような気がするが思い出せない。太宰治の小説どこかに出てきた言葉ではないかと思うが、調べるのも面倒なのでそのままにしてしまった。しゃれた言葉ではある。

 人と出会うことは別れることでもある。しかしことさら別れることに人生の悲哀とか無常とかというものを感じることもない。
 人と出会うことは必要があるから出会うわけで、必要が無くなればれるのは当然である。人との出会いはそんなに単純なことではない、と言うかもしれないが、結構単純なことである。
 友との出会いは必要ではない出会いであるから長く続くものとなる。それを友情と言うから友情となる。いつまでも続く友情と思っていたものに別れがくれば残念と思うのも当然である。人生には別れがなければ腐れ縁だらけになってしまう。

 恋愛に別れはつきものとされているがそんなことはない。恋愛から結婚して長く一緒に生活している男女がほとんどである。
 恋愛に別れはつきものとされているのは、飽きっぽい男と女の恋愛であるからである。恋愛は「この人に決める」ことなのか、「いろいろ付き合ってみて決める」ものなのか、そんなことから別れは生じるものである。

 一期一会」を、人との出会いはそれきりだけのことだ、と理解していたが、そうではないらしい。
 一期一会は、茶道に由来する言葉とされている。
茶会に臨む際には、その機会は二度と繰り返されることのない、一生に一度の出会いであるということを心得て、亭主・客ともに互いに誠意を尽くす心構えを意味するとある。
 しかし言葉というものは、本来の意味がいいものであってもそのようには伝わらない。一期一会の意味は上記した意味よりも、どうせ一回きりのことだから、と言う方が人の共感を得る。ためになる言葉は使い勝手が悪い。

 「さよならだけが人生だ」とは思わないが、出会った人だけが人生だ」とは思う。出会いには人の他に事やがあるが、やはり人との出会いが人生である。
人生の思い出は出会った人以外にあり得ない。
人生には出会わない人がいるはずだが、出会わない人に思い出はない。当たり前のことだが、のことを認識することは大切なような気がする。
 
 出会った人だけが人生ならば、いい人と出会わなければならない。
 いい大学を出て、上級公務員や大会社に就職すればいい人と出会うことになる。それはなんと言ったって素晴らしいことであり大切なことである。収入だけのことを言っているのではない。いい人との出会いがなければいい仕事はできないからである。
 学歴のない人どうしの出会いに意味がないと言うつもりはない。しかし学歴のない私個人の実感として、学歴のない人どうしの出会いはやはり大した意味はない。

 出会った人だけが人生である。出会った事だけが人生である。人生それ以外に何もない。間違った言葉ではない。ただ、この言葉をいい言葉として使える出会いの人生であることがなにより大事である。  ()

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