「長嶋茂雄さん死去」
昨日の毎日新聞夕刊のトップは、今まで見たことのない大きなフォントで長嶋さんの死を報じていた。ブログに載せようと思ったが、写真があるのでやめることにした。
朝ネットを見てみたが直接死亡を報じるものはすでになく、松井秀喜さんが弔問に行ったとか、長嶋家の子供達は兄弟仲が悪いのではないか、という記事だけであった。
長嶋さんの死が早い時間に報じられたからか、きのうの2時頃からのワイドショーは長嶋さん一色。あれだけの映像を用意していたことに感心する。
「燃える男」「ミスタープロ野球」「日本の太陽」「記憶に残る男」。どんな賛辞もその通りだと思う。
長嶋さんが巨人に入団した年は1958年。昭和で言えば33年。私は小学校の6年生であった。
記憶違いではないと思うが、巨人に入団が決まって、当時のNHKの人気番組「私の秘密」に出演していたのを見た覚えがある。
たしか、「私は学生時代8本のホームラン新記録を作り、こんど巨人軍に入団することになった長嶋茂雄です」というような秘密であったと思う。
解答者の渡辺紳一郎さんや藤原あきさんが、すぐに長嶋さんだと気がついたかどうかは覚えていないが、後のスーパースターもそのときは、「秘密」になるほどあまり世間には知られていなかったということを示すものである。
今朝の新聞に、「ひとつの時代が終わった」と石破首相が長嶋さんの死を悼んだが、「我々昭和30年代に生まれた当時の子供にとっては憧れの人だった」と言っている。ちょっと引っかかる。
石破さんは1957年、昭和32年生まれ。長嶋さんの全盛期を25,6歳とすれば、その当時石破さんはまだ4歳くらい。天覧試合は1959年のことであるから石破さんは見ているはずはない。
昭和32年生まれの石破さんが「子供の当時」、長嶋さんのどの時代を見て「憧れの人」と思うようなになったのか。
「ひとつの時代が終わった」という言葉と合わせて、国会答弁のような中身のない長嶋さんに対する感想のような気がする。
石破さんの感想など、まあどうでもいいことであるが。
長嶋さんと言えばやはり長嶋語録。
「ついに閉幕を閉じる時期にきましたね」
「ええまあ」「いわゆる」「ひとつの」「ややもすると」
「春のスプリングキャンプへようこそ」
いろいろある。
昨日テレビを見ていて初めて耳にした長嶋さんの言葉を知った。
「練習をしている時でもファンの人達は見に来てくれるが、そのときは練習を見せているのではなく、ちゃんとした自分のプレーを見せている。練習は人の見ていない所で一生懸命やっている」。
正確に書き写したわけではないが、長嶋さんが言わんとしたこととずれてはいないはずである。作り話とは思えない。
やはり長嶋さんの言葉は「巨人軍は永久に不滅です」「メイクドラマ」に尽きる。
日本語としておかしい、英語になっていないと批判する人は、エンターテイナーということが分かっていない。
MAKE DRAMAをローマ字読みすると「負けドラマ」。こう揶揄した人もなかなかの野球人であったが、長嶋さんのように手放しで国民から愛されるような人にはならなかった。
「長嶋はひまわり。わしは月見草」言うまでもなく月見草は野村克也氏。
記憶に残る人は愚痴っぽいことは言わないものである。
日本人に夢を与えた長嶋さん。心からご冥福をお祈りします。
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