「江藤農相更迭へ」 今日の朝刊のトップ。
しかし解任ではなく、辞任させるということのようだ。
Xでは「江藤大臣の主食→無銭米」というデーブ・スペクターのダジャレが大うけらしい。
フォロワーからは、「うまい!」「座布団5枚!!」と絶賛コメント。
「いままで無銭米もらってたみたいですが、もらうお米はコシヒカリではなく親のナナヒカリ」などと、フォロワーのコメントもなかなかいい。
江藤農水大臣は世襲議員であった。二世議員に大した人物はいないが、この人はどうしようもなく無能だ。親からもらった地盤で殿様のような気分になっている。解任されてもエヘラエヘラと笑っている人だ。
2月28日の衆院予算委員会分科会。農水大臣が特に精通すべき食糧法の正式名称「主要食糧の需給及び価格の安定に関する法律」も知らず、法律には「価格の安定」など明記されていないと強弁。食糧法には名称の他、20カ所近くも規定されている。
野党議員から「書いてある」とやじが飛ぶと同時に、江藤大臣の後ろにいた官僚が慌てて声を掛けて指摘し、「大変失礼しました。書いてありました」と訂正。食糧法は読んでいると言っていたが読んでいない。
愚かな世襲議員。何も考えずに大臣をやっているのであろう。
こういう議員がいては日本の将来が心配だという声があるが、何十年も前からこういう議員がいたから日本はダメになったのである。将来の心配はすでに起きている。
戦争に負けて焼け野原となって食料なければ、後は死ぬかしかない。死ぬ気になって働いて日本は高度成長を迎え、一時は世界第2位の経済大国になったが、それも続かない。
バブル崩壊を日本経済低迷の原因とするが、そんなことはない。バブルがなくても日本はすでに衰退期に入っていたのであり、バブルはそのあだ花のような打ち上げ花火であった。日本経済ははかない花火のように消えたのではなく、泡と消えたのである。
発展が望めない社会。今の日本社会には解決しがたい問題が山積している。歴代の政権は解決すべき問題をすべて先送りとしてきた。
以前不動産業をしていた時、ある信託銀行の社員から、「仕事をして失敗するならしないほうがいい」という社会があることを教えられた。
失敗してもなんでもいいから稼がねばならない身としては、信じられないことだった。
政治と利権。利権というものに社会はもっと関心を持っていいような気がする。汚職事件の摘発などで、利権はますます巧妙になっているのではないだろうか。
無能な政治家がなぜ重用されるのか。裏返して言えば、有能な人間は登用したくない、という要請と実体があるからだ。
何もしないほうがいい。大企業、官僚の既得権を守る事こそ政治家の役目ということになっているらしい。それには無能な人間が適任。
このブログを書き終わろうという時、《辞表提出の江藤農相の後任に小泉進次郎氏起用の意向 石破首相》とのニュース。やはり、そういうことである。
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