「亡くなった夫は風になって私のそばにいてくれる。天国から今年の桜を見ている。そんな訳はない。悲しみは消えることはない。私はふいに泣きそうになる。夫に会いたい」
53歳の女性が新聞の家庭欄に投稿した文を要約したものである。
見舞に来た友人が言う。「元気そうでよかった」と。
何が良かったのかとその女性は思う。見舞いの言葉にも気をつけなければいけない。
男はどう生きるかを考えるが、女はどう生きたかである。
女性には思考がない、ということを言っているわけではない。
どう生きるかを考えることに意味がない、無駄であることを女性は知っているようである。
女性は生きていることが人生になるが、男は理屈がないと人生にならない。
モーパッサンの「女の一生」という小説の題名には女と言う字はないらしい。ただ「人生」と言うだけだそうである。
フランスで人生と言えば女性のことを指すらしい。日本ではそんなことはないから、日本語に訳して出版する時「女」の字をつけたらしい。
ブログに人生論を見かけない。男性にも女性にもである。
私が読み取る限り今の人生を謳歌することだけである。
庭に一輪の花が咲きました。三つ葉のお吸い物がおいしかった。伊豆の海がとても綺麗でした。
近所の友人が1月に亡くなったが、今でも弔問客が絶えないという。
義兄は家族葬であったので友人には死亡の連絡ということにしたのであろう。
墓前に何人もの友人が集まって手を合わせている写真を見た。
この2人がどう生きたか分かる。私はそういう人生になりそうもない。
一輪の花が咲いたことに喜びを見いだせる人生がある。まだ私には分からない。
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