CMを放送するのがテレビである

つぶやき

 高校サッカーの決勝戦。1対1の同点で延長戦。それでも決着がつかずPK戦。
 双方5人を超える選手が蹴っても決着がつかない中、画面は突然CMに変わる。すぐに中継に戻るかと思ったら、1社で終わらず延々と長い。

 「オイどうする気なのか。夜遅くの『今日の出来事』なる番組で結果を報ずればいいと思っているのか」と思っていたら、中継再開。まだ勝負は決まっていなかった。

 中継していたテレビ局に非難が寄せられるのは必定。しかしテレビ局としては予定外の試合時間の長さ。スポンサーあってのテレビ。CMを放送しなかったら、それこそ放送倫理規定なるものに抵触することになるということであろう。

 高校サッカーの中継とCM放送のどちらが大切なことかと言えば、CMに決まっている。視聴料を払ってもいない視聴者がエラそうなことを言うな、ということである。昔の紙芝居でも、なにも買わなければ見せてもらえなかった。

 しかしPK戦というのは止めた方がいい。勝ち負けの責任が個人の選手になるようなことはスポーツではない。
 イヤな例だが死刑執行においてすら、誰がスィッチを押したのか分からないようにしてある。

 若人(わこうど)に、自分のせいでみんなが負けた、という悔恨を残すようなスポーツはスポーツではない。

 サッカーは個人のスポーツではない。勝負がつかなければ個人の責任として決着をつけるのではなく、チームとして決着をつける方法をとるべきである。
 勝って泣く、負けて泣く。スポーツの世界はそういうことかもしれないが、失敗して泣く、というのは酷である。

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